月曜日, 11月 30, 2015

チーム開発実践入門 ~共同作業を円滑に行うツール・メソッド


チーム開発実践入門 ~共同作業を円滑に行うツール・メソッド (WEB+DB PRESS plus)
チーム開発実践入門 ~共同作業を円滑に行うツール・メソッド


これも評価が高かったので手にとって読んでみる。
今困っているわけではないけど、よりベターな方法があるかなと。

目次
第1章:チーム開発とは
第2章:チーム開発で起きる問題
第3章:バージョン管理
第4章:チケット管理
第5章:CI(継続的インテグレーション)
第6章:デプロイの自動化(継続的デリバリー)
第7章:リグレッションテスト

読んでみた感想としては、目次からもわかるけどちょっと盛り込み過ぎかな。
何も知らない人が方向性を知るのにはいいかもしれない。

金曜日, 11月 27, 2015

はじめての事業計画のつくり方


はじめての事業計画のつくり方 (21世紀スキル)
はじめての事業計画のつくり方 (21世紀スキル)

評価が高かったので手にとって読んでみる。
プレゼンが多い人にはオススメかな。
あとは事業の素因数分解の仕方など。

水曜日, 11月 25, 2015

昭和史 戦後篇 1945-1989


昭和史 戦後篇 1945-1989
昭和史 戦後篇 1945-1989


前編の昭和史 1926-1945
に続いて後編も読了。

前編が1926-1945なのにたいし
後編は1945-1989と書いてあるけどおおよそ1960sあたりまでしか書かれていない。
そのわりには前編のほうが勉強になった、おもしろかった、とおもったのはおそらく
結末を知っている物語であっても前者のほうがハラハラとさせるからだろう。
後編はいい意味で経済が中心なので特定の何か誰かで変わるのではなく、人々の毎日で少しずつ変わっていくので。

なかでも心に残った箇所をいくつか

最後の陸軍大臣下村定 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%AE%9A のスピーチ
私は陸軍の最後にあたりまして、議会を通じてこの点につき、全国民諸君に衷心からお詫びを申し上げます。陸軍は解体を致します。 過去の罪責に対しまして私共は今後、事実をもってお詫び申し上げること、事実をもって罪をつぐなうことは出来ませぬ。まことに残念でありますが、どうか従来からの国民各位のご同情に訴えまして、この陸軍の過去における罪悪のために、ただいま齋藤君の御質問にもありましたように、純忠なる軍人の功績を抹消し去らないこと、ことに幾多戦没の英霊にたいして、深きご同情を賜らんことをこの際切にお願いいたします。

悪いところを認めた陸軍はそれらの発言のために現代ではすっかり悪玉論が定着し
ノーコメントの多かった海軍は陸軍に引っ張られたという論もあるので残念。
陸軍、海軍、どちらも先入観なく歴史は客観的にみないと、と思っているので。


あとは天皇周り
私個人としては平均的な日本人程度に天皇は好き

昭和天皇というと、多くのことを経験したおじいちゃん、というイメージがあったけど、この書を読むと若い頃からやはり常人ではなかった。

GHQが来た際に、マッカーサーのもとにすぐに会いにいき
私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の決裁にゆだねるためにおたずねした。

あなたが私をどのようにしようともかまわない。私はそれを受け入れる。私を絞首刑にしてもかまわない。しかし、私は戦争を望んだことはなかった。なぜならば、私は戦争に勝てるとは思わなかったからだ。私は軍部に不信感をもっていた。そして私は戦争にならないように出来る限りのことをした。

天皇は握手が終ると、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、東条のトリックにかけられたからである。しかし、それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない。天皇は、日本国民の指導者として、臣民のとったあらゆる行動に責任を持つつもりだと述べた
#天皇は東条とこの時は思っているが実際は外務省のミスと思われる。

敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない。
私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」
と、その足しにして欲しいと、皇室がもつ有価証券などの財産類を持参していた。

私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」
そしてマッカーサーは、このご発言に関する感想をこう述べたという。
「私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした

それまで天皇というものを知らなかった海外の世論は
「一人間を神のように扱うなんて気味の悪い独裁以外のなにものでもない、
天皇は処刑、国外追放、終身刑、あやつり人形のどれか。
とりあえず裁判にはかけるべし」
という声がほぼすべてだった。
マッカーサーもたぶん似たような考えだったのではないか。
が、天皇が訪ねてきた時には迎えもしなかったマッカーサーが、話すうちにこの人は違う、と最後は送り届け、のち「この人を裁判にかけるなどとんでもない」と本国アメリカにも送る。
20歳以上も年下の昭和天皇に対して
「この人はホンモノの王者だ」
と感じたのだと思う、最後にはマッカーサーは「何事であれ、私にご用命願います」とまで申し出るようになる。

この天皇とマッカーサーの対談は10回にも及んだが、口外しないという約束を天皇はもちろん生涯守ったがマッカーサーはことあるごとにしゃべった、おかげである程度会談の内容が類推できる。

飲み物のエピソードも興味深い。
天皇は会談中に出されたコーヒーに一切口をつけなかった。
もてなされたものに手をつけないのは礼を失するので、天皇のように社交的に訓練された人があえてそうしたのは
敗者とはいえわが道をゆく毅然たる姿
敗けても勝者の水は飲まず
王者の矜持、誇り
にマッカーサーはずいぶん驚き、二回目の会談からは水も出なくなった。
お互い飲まず食わずでしゃべるので、マッカーサーは終わった途端にがぶのみして一息ついた、というエピソード。
ま、これは、マッカーサーが3/4ぐらいしゃべって、天皇は1/4ぐらいしかしゃべらなそうだから当然か。


最後に昭和天皇の沖縄感
沖縄にいく予定を立てていたのに倒れてしまった。
病気の床で
「残念だ。沖縄には行かなければならなかった。」
と何度もいう。
多くの人はこの発言を
「第二次世界大戦の最後の激戦地として、本土決戦までの時間稼ぎのために兵隊ばかりでなく、市民、学生、女学生まで抵抗したことが心にずっと大きく引っかかっている」
と理解していた。

それも間違いではないが
GHQが日本に基地を置く時に
「日本本土どこでも」と考えていた政府に対して
「それはまずい」と、国防を担うため沖縄を長期にわたって貸与するというフィクションをアメリカにメッセージとして与えたこともある。

どういうことかというと
「昭和天皇は、太平洋戦争においてもそうなんですが、子供のときから軍人として非常に鍛えられた方ですので、戦術的・戦略的な目は特に秀でております。ですから、これから中国共産党も出てくる、北朝鮮も共産国になる、ソ連もどんどんアジアへ進出しているといったときに、アジアをその進出から守るためには、グアム、沖縄、台湾の弧を描いた線で守るほうがいいと戦略的にわかっていた」

太平洋戦争とは早くいうと、地図上でコンパスを回して
戦闘機の制空権の範囲内でそこに基地をつくり、さらにその基地からコンパスを回して
要するに制空権内で基地から基地へカエル跳び作戦をする、という戦いだった。
つぎの戦争もまたしかり。
つまり北海道にでかい基地を作ってもかんじんのところに届かない。
それを天皇はわかっていたので沖縄を貸し与えた。
マッカーサーもGHQも天皇の慧眼/戦略眼を認め、では沖縄がいい、となった。

それもアメリカから言い出すと他の連合国のカドが立つから日本から言い出した、という形にするためメッセージとして与えた。

そのことも含め、昭和天皇は亡くなるまで
「申しわけないことをした。沖縄の人たちには長い苦痛を与えたままであった、それをお詫びに行かなければいけなかった。」
と。
太平洋戦争の沖縄決戦だけでなく、戦後の複雑な事情を含めての発言だったと思われる。

天皇は象徴になったというけれど、まさに日本男子の目指すべき象徴だと感じた :)