月曜日, 1月 16, 2012

菜の花の沖〈2〉

菜の花の沖〈2〉 (文春文庫)
菜の花の沖〈2〉
司馬 遼太郎

故郷から村抜けし兵庫のおじを頼った嘉兵衛
船乗り下積みからはじめ、小さい頃から物の価値にこだわる性格であったため商才を発揮しおじや兵庫の名家であった北風屋からも信頼を勝ち取る
象徴的なのは、当時は表面だけ無難な売り物にして中は傷物を混ぜる悪質なもしくは目利きの悪い商人も多かったので買う方はその点を気をつけて入念にチェックしなければいけなかった
が、嘉兵衛が売るものはみな信用が高いのでそのまま購入をしていった

当時西日本は生産機能は高かったため物を売ろうにも高く売れなかった
高く売るには需要の高い大消費地江戸に商品を持っていく必要があった

当時の江戸は、京大阪から来るものは少し前の舶来品のようなブランドがあり、「下りもの」と言われた
逆に、関東は商品生産能力がなく、関東で作られたものを「くだらないもの」とよんだ

紀州から木材を運ぶのに筏にして冬に実行するなど、航海技術やその度胸で徐々に名を知られるようになっていった

周りからの後押し支援もあって、古い船ではあるものの念願の船を安く手に入れる

当時は一時的に損をしたとしても信用信頼を守る、という考えがなかったようで、もし誰かが天才的に法人という考えを発明したとしても、他人同士では信用が長続きせず、そのため兄弟で事業を興すことが一般的だった
嘉兵衛は子供の頃は貧困の一因になるほどであった多くの弟たちを呼び寄せ船についてや商いについての学びの場を古船で提供し後の高田屋の基礎を固めていく

数年を経て故郷に戻ると、村八分にしていた連中も、すでに船持ちになっている嘉兵衛に尊敬の目を向け、また良家から嘉兵衛の弟にわが娘をもらってくれという当時の常識では考えられない申し出も受ける

当時は別の藩にいくのは外国に行くようなものだったと思われるが、村抜けした嘉兵衛はそのあたりの問題はなかったのかが物語を読んでいてわからなかった点

金曜日, 1月 13, 2012

菜の花の沖〈1〉

菜の花の沖〈1〉 (文春文庫)
菜の花の沖〈1〉
司馬 遼太郎

淡路島に極貧で生まれた高田屋嘉兵衛
不作であったり、出身村との格差であったり、漁業と農業とのいさかいであったりの負のエネルギーから、出稼ぎに出たとなり町であらぬ噂をたてられいじめを受ける

農地をもっているわけでもなく、失うもののない嘉兵衛はこの時代には珍しく良家の娘とかけおちのようなかたちで淡路をすておじのいる兵庫を頼っていく

水曜日, 1月 11, 2012

ザ・シークレット



一時期話題になっていた自己啓発本
シークレット、という割にはよく書かれている内容

引き寄せの法則、願ったものが引き寄せられる
思考は現実化する
欲しくないものは引き寄せてしまうので想像すらしないように

何事も、自分が思い続けて引き寄せない限り起こることはない

引き寄せの法則はアラジンのランプのように願いをすべてかなえてくれる
欲しいものが現実化されるのに時間はかからない、100万ドルも1ドルと同じくらい簡単に現実化できる
次の日がどのようになってほしいか、前もって考えるようにする
すると、自分の人生を意図的に想像できるようになる

期待には強い引き寄せの力がある
欲しいものを期待し、欲しくないものは期待しない
感謝することも欲しいものをもたらす力強い方法
既に所有しているものに感謝する、そうすればより与えられる
引き寄せの法則を習慣化させる
毎日就寝前にその日を振り返り、望むとおりでなかったら望むとおりに再現する

今、幸せな気持ちになると、お金が自らの人生にやってくる
思いを豊かさに向ける、豊かさについて考える

笑いは喜びを引き寄せ、否定的なものを消し去り、奇跡的な治癒を起こす

世界の問題に焦点を合わせるのではなく、エネルギーを信頼、愛、豊かさ、教育、平和に向ける

良いものが底をついてしまうことはない、良いものは全員に行きわたっても余るほど充分にある、人生は豊かになるためにある

問題に視点を合わせずパワフルな言葉を使う。例えば
私はすべての素晴らしいものを受け取っています、私は幸福です、私は豊かです、私は健康です、私は愛です、私はいつも時間に間に合います、私は永遠に若いです、私は毎日エネルギーに満ち溢れています

★★★

月曜日, 1月 09, 2012

戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ



ミスミの経営者として有名な三枝さん

日本はアメリカと比較してリーダー/経営者の育成が圧倒的に遅れている
30代で経営に参加して経験を積んでいかないとその差は開く一方、と危機感を提示する著者

内容は経営のとっかかりを読みやすい小説にしたもの
読み物としては80年代の学園ドラマ風というか、往年の少年ジャンプ風なので特筆事項はないものの経営書としてはもちろん勉強になる

ボスコンの出身でもあるので処女作である本作にはプロダクトライフサイクルや事業成長のルートなど有名な話も解説される
スター、金のなる木、負け犬、とかの例のアレ

もっとも本書の真骨頂は、親会社から派遣された常務取締役広川が営業方針を決め動き出していくところ

ドイツの会社、ドイツ化学に大きなシェアを奪われている状態でジュピターという技術的にはすぐれたアメリカ製品を売っているものの営業は進んでいない
どうすればこの状況をひっくり返せるか

ジュピターは臨床検査を自動化する機械
旧タイプは機械を使わないのに対して、ジュピターは安いもので450万、高いもので1250万
営業マンたちはここまで高額な機器がすぐに売れると思ってもらっては困る、という姿勢

営業マンたちは
価格が高い、ユーザは自動化に抵抗がある、病院が機械購入するには予算化のために1年ぐらい必要、という弁

ジュピターのメリットは旧タイプは検査一回が500円のコストに対して、ジュピターは250円で売れる
(広川は安かろう悪かろうの印象を与えるので値上げしたいぐらいと言う)
一回検査を行うと800円の検査料が保険基金から支払われる

広川は
従来であれば300円しか残らない検査が550円残るようになる、しかも人手がかからなくなる
売る側のロジックと買う側のロジックを加味したメリットを提示してセグメント分けしてあたれば、売れないほうがおかしい
と考える。
各病院が検査をする回数がわかればターゲットがわかるがそのデータは社内にはない
「そのデータがないのにどうやって値付けしたんだばかもん!」ととりあえず部下を怒る
正確ではないものの、ベッド数とおおよそ比例するだろうとターゲットを絞る

その後入手したデータでは300ベッドぐらいの規模の病院では少なくとも900/月程度の検査回数がある
これなら1.5~2年で初期投資を回収でき、その後は儲かっていくため金額の問題ではないはずとあたりをつける
また、ユーザ候補にヒアリングをしに行ったところ、自動化に抵抗はないとのこと

ジュピターに興味を持つ病院はベッド数にして200以上と仮定、全国には900の病院がある
9,000ではマスマーケだが900であればそこからさらにターゲットを絞り、個別撃破マーケができるので他社が類似商品を出してくる前に短期戦に持ち込める

アメリカのジュピター製造元では
去年120台販売、今年は150台見込
アメリカは日本の2倍の市場なので日本でもその半分ぐらいは売って欲しい
ヨーロッパは全体では日本の1.5倍の市場で年100台程度売っている
日本の去年の年間9台販売という数字は日本での代理店を変えようと考えているレベル

広川が立てた価格戦略は
・初期コストを無料にし検査薬を420円にする
・初期の機器代分を回収を終えた後は250円にする
として病院の予算化のハードルを劇的に低くした
「リスクがある!回収出来なかったら?」という抵抗もあったが、「ユーザ側にメリットがあるのに使わないわけがない」と諭した

戦略はできるだけシンプルに

次に
・売り込みに成功した場合の自社のメリットを縦軸に
・製品に対する興味、ニーズの強さを横軸に
して2×2のセグメンテーションモデルを作った
| ニーズ強い | ニーズ弱い
メリット大きい | A | B
メリット小さい | B | C
として、A->B->Cと順位付けをして営業をする

今回の場合は2×3にして
一般/個人/私大/医師会病院 | 国公立病院
ベッド数500以上 A | B
ベッド数300~499 B | C
ベッド数200~299 C | 除外
とした。

また、「営業マンが訪問しやすいところからいく」では自社旧製品とでカニバるだけなので、ドイツ化学の客先を優先とする2×3をつくった

ドイツ化学/その他競合 | 自社旧製品
セグメント魅力度A I | III)
セグメント魅力度B II | IV
セグメント魅力度C III | IV
とし、Iが終わる前には他の客先へのアプローチは禁止とした。

また営業進捗を、「うまくいってます」などあいまいなものから、お互いの共通言語として
F : まだ何もしていない
E : 第一回訪問,、挨拶、自社紹介など
D : 第二回訪問以降、何回行っても
C : デモおよびその後の訪問
B1 : 見積書提出およびその後の訪問
B0 : 価格などの条件交渉およびその後の訪問
A1 : 受注決定およびその後の訪問
A0 : 納品//売上
Z : アプローチ中止
として1ユーザごとに1枚の紙をつくり毎週の報告とした。

ここまでが本書のキモであとはめでたしめでたしフェーズ
1年後に販売成績は9->148台になりましたとさ、おしまい。

金曜日, 1月 06, 2012

FLASH OOP for ActionScript 3.0



以前Flash/ActionScript3.0系の仕事がありそうだったので手に取る

も、たぶん向いてないと思うんだけどちんぷんかんぷん

ある程度知っている人向け
文法が載っているわけでもないしチュートリアルでもないし
位置づけがちょっと不明です

私にAS3の知識がないだけかもしれないので評価せず
ただあんまりいい書籍ではないような気がします

水曜日, 1月 04, 2012

逆説の日本史〈12〉近世暁光編



この時代になってくると、司馬作品にも取り上げられることが多い時代なので新しい視点は多くなかった

関ヶ原で徳川に仕打ちを受けた長州と薩摩が幕末に江戸を倒した
が、その二藩の行動指針は関ヶ原を教訓としたため異なっている
長州=>絶対に徳川とは妥協しない、戦うなら徹底的にやる
薩摩=>また徳川と争うような事態が起こったら今度こそ情勢判断を誤らないように情報収集に努め、決して不利な状況で参戦することのないよう念には念を入れる

家康は歴史をよく学び、徳川家が安泰するように布石を多く残した
「吾妻鏡」が愛読書であった家康は、源氏が三代で滅びてしまったことから学び、百台以上も続いている「ライバル」天皇家に対する宮家のように「血のスペア」を徳川で参考にして御三家の尾張/紀伊/水戸を創った
ただし、中納言にしかなれない水戸は大納言になれる尾張や紀伊と比べると格が下がる
筆者は、水戸には他の二家にない重大な任務があったのではないかと想像する
戦国大名がどちらが勝つかわからない戦の時には家を残すために兄弟や父子で両方に分かれる
という戦略の一環で
もしなんらかの理由で徳川より天皇家が優勢になることがあれば(現に260年後に実現する)、その時は家を残すために水戸は朝廷に味方せよ
というミッションであったのではないか、という内容

そのため、水戸家は副将軍ではあっても将軍になってはいけない家系だった
が、吉宗が御三家以外にも尾張締め出しを目的とした御三卿を創設してしまったため、水戸家から一橋家に養子にいくという形で15代慶喜が誕生した

また、皇室にくさびをいれる意味でも婚姻関係は多かったが、15代の慶喜のみが生母が皇室
多くを皇室からめとっておきながら一人だけというのは説明がつきづらい
徳川家には皇室から来た女性には子を産ませないふいんきがあったのではないか

★★★★

月曜日, 1月 02, 2012

坂の上の雲〈2〉



司馬さんの大作の第二巻、助走だった一巻よりも俄然おもしろくなってくる

この巻では日清戦争が起こる
日清戦争の勝利の原因は日本よりも中国国民が清という長期政権に制度疲弊を起こしていてしかも清という彼らにとって異民族が支配している政権のために自身の命を投げ出せなかったことがある

司馬さんのいいまわしは細部におもしろい
「猿まね」
と西洋人はわらった。
模倣を猿というならば、相互模倣によって発達したヨーロッパ各国民こそ老舗のふるい猿であるにちがいなかったが、しかし猿仲間でも新店の猿はわらいものになるのであろう。
とか、世界史も含め知った上での例えなので知的で適切。

朝鮮半島では、軍拡を行った時の首相である伊藤博文の評判がすこぶる悪くげんに暗殺されている
が、これは朝鮮半島にとって悲しい誤解というもので、伊藤ほど平和主義者はいなかったと筆者。
たとえば日清戦争は伊藤はまさか戦争になるとは思っていず、伊藤自身が「軍事権は首相でなく天皇に属す」としてしまったため後の昭和の戦争と同様抑えきれず、ほぼふたりのおとこによっておこされた。
短期に大勝をおさめるしごとは川上操六、しおをみてさっさと講和へもってゆくしごとは陸奥宗光が担当した。

秋山好古真之兄弟の言動メモ
「軍人は結婚をすべきではない
結婚をすれば家庭の雑事にわずらわされて研究もおろそかになり、ものごとを生み出す精神がぼけてくる
たとえ凡庸な者でも一心不乱であるかぎり多少の物事をなしとげるのである
凡俗の幸福は求むべきにあらず。おのれを軍神の化身なりと思え

のちの日本人よりもよほどその生涯のすがたや生き甲斐なりが単純で、その意味では幸福だったようにおもわれる
好古のころの日本は、いわばおもちゃのような小国で、国家の諸機関も小世帯であり、その諸機関に属してその部分部分を動かしている少壮の連中は、自分の一日の怠慢が国家の進運を一日おくらせるというそういう緊張感のなかで日常業務をすすめていたし、げんにそれらの連中個々の能力や勤怠がじかにその部分部分の運命にかかわっていた。
自分一個が今日一日停滞することが国家の成長をそれだけ遅らせる、小さな規模の国であるから自分の充実がじかに国家の充実と前身につながっていく、とこの時代の男たちの多くが考えていた。日本は大きくなりすぎたのかも。

戦術というものは、目的と方法をたて、実施を決心した以上、それについてためらってはならないということが古今東西その道の鉄則のひとつであり、そのように鉄則とされていながら戦場という苛烈で複雑な状況下にあっては、容易にそのことがまもれない
明晰な目的樹立、そしてくるいない実施方法、そこまでのことは頭脳が考える。しかしそれを水火のなかで実施するのは頭脳ではない。性格である。平素、そいういう性格をつくらねばならない。

自分は病床にあるため病によって自宅に閉じ込められている正岡子規が、米国留学に向かう真之に向け送った詩
暑い日は思ひ出せよふじの山

真之の特徴はその発想法にある
物事の要点はなにかということを考える
要点の発見法は過去のあらゆる型を見たり聞いたり調べること
教えられた、見聞きした多くの事項をひとわたり調べ、ついでその重要度の順序を考え、出題教官の出題癖を加味し、あまり重要でないか、もしくは不必要な事項は大胆にきりすてた
精力と時間を要点にそそいだ
人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急のものはきりすてるという大胆さだけが問題だ
従って物事ができる、できぬというのは頭ではなく、性格だ

目で見たり、耳できいたり、あるいは万感の書を読んで(真之は米国でもそうだったが、もの狂いじみた読書家だった)得た知識を、それを貯えるというよりは不要なものは洗いながし、必要なものだけを貯えるという作用をもち、事あればそれが自然に出てくるというような働きであったらしい 

海軍大学に入りたいと希望したものの外国人であったため入学許可されず、代わりに海軍の権威マハン大佐に少ない人脈をたどって2~3度面会し、過去の戦史をことごとく調べるようアドバイスを受け、海軍省の書庫の入室許可を受ける。
米に来る前から真之はマハン大佐の書を英語版で読み、その後出た日本語訳も読みほとんど全巻を暗誦するほどに熟読していた。

米西戦争でも、スペインについて調べる時に漠然と調べるのではなく
なぜスペインは往年の栄光をうしなったのか
という点を知るために調べた。
時代がスペインに合わなくなった。

また、真之の読書感も勉強になりメモ
本は乱読
本はどういう名著でも数行、または数頁しか記憶しない
気に入ったくだりは憶えてしまい、あとは殻でもすてるように捨てる
従ってこれだけの多読家が蔵書というものをほとんどもっていない
それが戦争屋よ、海戦をするのに本をみながらはできまい
数行ぐらい、それに関心さえ強烈ならたれでも自然とおぼえられる
ただ、名文句にぶつかることがある
これは本の内容とはべつに、書き抜いておく
もっとも書き抜きの手帳を紛失することがあって参考にはならんがまあ憶えちゃいる
文章のリズムを体に入れる真之流の読書術だった

日露戦争を起こした時の皇帝ニコライ二世が24歳の皇太子だった時来日した
その時に一生の傷となる、大津事件が起きる
この事件だけでも憎悪の対象となるのに、被告と関係のない一般女性が、ニコライ二世に詫びたい、と短剣でのどをかききって自殺するなど後世から見ると気味の悪い民族を生涯軽蔑した

また、ロシアはこの時代東へ東へと拡大することが自己目的化しているが、これはロシアのもともとの性質ではない
ユーラシア学派「モンゴル帝国であり、あとでロシア人がたてた帝国はその後継者である」という説
ここに原文載ってたからそのまま載せちゃえ
http://blogs.yahoo.co.jp/bmb2mbf413/29914900.html
当初は毛皮を得るために東へ向かい、この時期には不凍港を得るために領土を拡大し続けた
東征には「東を征服せよ」、という意味のロシア語であるウラジオストックが中心となった

清という異民族国家には忠誠はないものの、ロシアを筆頭に「中国を早く切り取らねば他国に先をこされる」というふいんきが満ち、政権に対する忠誠よりも郷土愛から起こった北清事変から20世紀の中国史がはじまっていく

この巻は歴史や思考法も含め勉強になったのでメモが多くなってしまった。。

★5つにしたいものの、そうすると終盤になると★が足りなくなるので
★★★★