
菜の花の沖〈2〉
司馬 遼太郎
故郷から村抜けし兵庫のおじを頼った嘉兵衛
船乗り下積みからはじめ、小さい頃から物の価値にこだわる性格であったため商才を発揮しおじや兵庫の名家であった北風屋からも信頼を勝ち取る
象徴的なのは、当時は表面だけ無難な売り物にして中は傷物を混ぜる悪質なもしくは目利きの悪い商人も多かったので買う方はその点を気をつけて入念にチェックしなければいけなかった
が、嘉兵衛が売るものはみな信用が高いのでそのまま購入をしていった
当時西日本は生産機能は高かったため物を売ろうにも高く売れなかった
高く売るには需要の高い大消費地江戸に商品を持っていく必要があった
当時の江戸は、京大阪から来るものは少し前の舶来品のようなブランドがあり、「下りもの」と言われた
逆に、関東は商品生産能力がなく、関東で作られたものを「くだらないもの」とよんだ
紀州から木材を運ぶのに筏にして冬に実行するなど、航海技術やその度胸で徐々に名を知られるようになっていった
周りからの後押し支援もあって、古い船ではあるものの念願の船を安く手に入れる
当時は一時的に損をしたとしても信用信頼を守る、という考えがなかったようで、もし誰かが天才的に法人という考えを発明したとしても、他人同士では信用が長続きせず、そのため兄弟で事業を興すことが一般的だった
嘉兵衛は子供の頃は貧困の一因になるほどであった多くの弟たちを呼び寄せ船についてや商いについての学びの場を古船で提供し後の高田屋の基礎を固めていく
数年を経て故郷に戻ると、村八分にしていた連中も、すでに船持ちになっている嘉兵衛に尊敬の目を向け、また良家から嘉兵衛の弟にわが娘をもらってくれという当時の常識では考えられない申し出も受ける
当時は別の藩にいくのは外国に行くようなものだったと思われるが、村抜けした嘉兵衛はそのあたりの問題はなかったのかが物語を読んでいてわからなかった点