以前大河ドラマとかでも大きく取り上げられていた。
児玉源太郎が乃木希典に代わって旅順の総指揮をとる場面。
乃木の対面を保つため、大山巌から預っている委任状は出さずに、
指揮権をちょっとの間貸してくれ
とした。
ただし、乃木以下の将校たちには指示は
「次に述べることは命令である」
とし、反論には
「陛下の赤子を、無為無能の作戦によっていたずらに死なせてきたのはたれか」
と強い口調でむかった。
日本軍は上から下まで全員が「国」というものを意識し参加できたはじめての時期で、集団的催眠状態にあった。
旅順攻略指導層が失敗している作戦でも何度も同じ作戦を取り幾万の日本人の血が旅順に吸われていった。
それでも日本人たちは新しい愛国という集団催眠の中で死地にただ向かっていった。
一方、ロシアは日本と事情が異なり、戦争はすべて貴族が指揮するもので、指導者層に貴族以外が入ることはまれだった。
ロシアは国の体制も制度疲弊を起こしていて、勇猛果敢に戦う軍人もいれば、官僚機構のなかで自分がマイナス点とならないことだけを考える人間もいた。
そのなかで旅順を
「まだ充分戦える状態であったのに降伏した」
として、戦後、ロシア側の旅順責任者は本国で死刑を宣告され、乃木が死刑を免れるよう工作した
日露戦争前から日本と同盟を組んでいたイギリスは、バルチック艦隊を執拗に追跡したり、アフリカ地方などの寄港する国/地域で石炭を補充させないよう圧力をかけたりした。
旅順などで日本の優勢が伝わるや、ロシアと同盟国だったフランスも徐々に、この欧州の軍事/政治とは関係のないロシアでの極東での道楽につきあいきれず、徐々に一線をおきだす。
攻略後、203高地を爾霊山(なんじの霊)として詠んだ乃木さん。
司馬さんの評価では、軍事に向かないだけで詩歌の才能では指折り、と。
旅順が落ちたとはいえ、当時最強と言われたコサック騎兵とバルチック艦隊が次は日本軍を待ち受ける。