金曜日, 5月 19, 2017

アメリカ株の貸株は時期尚早


株式投資ではSBI証券を利用しています。大学卒業後の20代前半くらいからかな。

仕事をおぼえることにがむしゃらで、周りに迷惑かけないよう、周りに追いつけるよう、仕事以外考える余裕があまりなかった。
そんな時期を通り過ぎて、少し時間に余裕ができた時に作った口座がSBI証券で何も考えずにそのまま利用継続。

貸株という制度は悪い面もあるけど日本株ではリスクリターンを考えて
なんかどんどん貸株料下がってくるな...
と思いつつも預けたまま放置している。
なので昔お世話になった数社の株は持ち続けているけど私の名義にはなってないのかも。

日本株は観察しつつも継続として
SBIが昨年2016年にアメリカ株にも貸株という制度をはじめた。
ま、ほっとくよりもマシかな
程度の気持ちで貸株してた。

その後毎月貸株料が入ってくるわけです。
そのたびに
何この雀の涙?
という気持ちになり。
貸株料が0.01%が多いですが、完全にリスクとリターンが見合ってない。
のでこの仕組に期待するのは早すぎたのだなとすべて貸株解除しましたよ。

念の為補足
貸株のリスク=SBI証券が傾いた時には名義が自分でないので貸した株が戻ってこない。
つまり、対象の株の変動リスク以外にも証券会社のリスクも考慮する必要あり。

月曜日, 5月 08, 2017

ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍



ローマ亡き後の地中海世界1: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)
ローマ亡き後の地中海世界1: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)
ローマ亡き後の地中海世界2: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)
ローマ亡き後の地中海世界2: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)
ローマ亡き後の地中海世界3: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)
ローマ亡き後の地中海世界3: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)
ローマ亡き後の地中海世界4: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)
ローマ亡き後の地中海世界4: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)

ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍 読了

中世と呼ばれる時代もあまり知らなかったので勉強になった。
そもそもいつからいつまでが中世と呼ぶべきなのかも知らなかったし。

全4巻読んだ感想としては

マホメッドが生まれイスラム教が生まれた570~630年くらいから、ず~~~っと争い続けているorz...
これについては、無宗教もしくは八百万の神を信じる多神教の日本人からすると
同じ神を信じているのになぜ?
と思うかもしれないけど、信じる神が同じでも教義が異なると
あいつらはオレの信じる神を曲解している、ほんとけしからん連中だ
となる。
これはイスラムvsキリストだけでなく、イスラム同士でもキリスト同士でも争い続ける

パクス・ロマーナがなくなってからは北アフリカからの海賊に常に荒らされて発展が止まっていたのが中世

もしこういう争いがなく、戦争は経済戦争だけだったら今頃人類はもっと高みにのぼれていただろう
神とは罪深い方ですね^^

イタリアは、誤解を恐れずにいうと、都市化&日本でいう京都化してしまったため中世に入ると
・権威はあっても権力はない
・戦争はコストが高いのでできない、必要なら傭兵でよい
・手を汚すのは自分たちでないほうがよい
・戦争するくらいなら、工業や商業や芸術や、に力を割くべき
・各地方、各都市がバラバラに地方国家、都市国家を作りまとまらない
などの理由と
イタリアの地形をみると細長いので海岸線が長く、攻められ放題だとわかる。

特に南イタリアは攻められ放題
なんでこんな不便なところに街つくるんだろう?
とか
なんでこんな不便な街のつくりにするんだろう?
と思うような街が多いけど、海側に作ってしまったら海賊に攻められ放題のため、不便なところに街をつくらざるを得ず、
アマルフィのような元海洋国家も街の道路を補足して攻められにくく、迷路のようにしていざという時に逃げたり敵を
閉じ込めやすいようにつくられてある。

アマルフィ、ピサ、ジェノヴァのような海洋国家はあったけど、北アフリカの海賊から攻められやすい順に力を落としていった。
最後に残ったのがヴェネツィア。
イタリアはヴェネツィア以外すべてスペインなりフランスなりの支配下に入ってしまっていてヴェネツィアのみが独立国として
存在感を持ち続ける。
他の都市は、もともと沼のようななにもないところから生まれたヴェネツィアが独立を維持しているのに自分たちが
支配下に入ってしまっているのが複雑な気持ちを持つ。

日本はヴェネツィアを目指すべきだと思う。
人口は少なくても我が道を行き商業で存在感を持ち続け、情報を重視し他国から一目置かれ続ける。

封建領主の生まれではないが、頭脳と手を使っての技能ならば自信はある、と考える人々が集まってできたのが
ヴェネツィアやフィレンツェに代表されるような都市国家。
生産性が非常に高く、10万の人口で1000万の人口を持つフランスやスペインやトルコに匹敵する経済力をもっていた。
フィレンツェの銀行の融資がなければフランス王もイギリス王も戦争ができなかったし、ヴェネツィアやジェノヴァの
海上輸送力がなければ同様に戦争ができなかった。

16世紀前半では
トルコ(エジプト、北アフリカを除き) 1600万人
フランス王国 1600万人
スペイン王国 800万人
ポルトガル王国 100万人
イギリス王国 300万人
ドイツ 1000万人
イタリア(ヴェネツィアを除く) 1100万人
ヴェネツィア共和国 本国だけなら20万人 イタリア北東部の属領加えて145万人
この人口比で各国と対等だった

都市国家だからこそ個々の市民の能力が最大限に発揮され経済から文化に至るまであらゆる面での反映がイタリアにあった。
だからこそ「量」で勝負する領土型の中央集権国家という時代の波に飲まれて、フランス領やスペイン領(またはスペイン王=
ドイツ王だった時代のドイツ領)になってしまっていった。

ヴェネツィアは地中海の東と西を相手に商業をするのに最適任だったのは
領土欲がなく、宗教にとらわれず、継続性を最重要視していたことによる。
ヴェネツィア共和国の経済政策は常に、相手にももうけさせることと、約束を守ることの2つを通しての、継続性を重視することで一貫していた。

アドリア海沿岸の国々も制覇するのではなく、その国々の人に職を与え共存する道を選んだ。
ローマ人は「寛容/クレメンティア」と呼んだ。
寛容と聴くと強者が弱者に対して「施し」を与えることのように聴こえる。
が、古代のローマ人にとっての寛容はそのような情緒的感情ではなく、共生していかなければならない相手にも得意分野で力を発揮させることで
その人の存在理由を確認させ、それを基盤に運命共同化にもっていこうとする、冷徹な支配哲学だった。
事実を集め冷静に捉えるからこそ、友好通商条約をトルコと結んでいる間も常にトルコを仮想敵国ナンバーワンとして油断することなく、
実力ナンバーワンの大使(兼スパイ)を常にトルコに送り込んでいた。

近代スパイはヴェネツィアから始まったと言われ、イギリスもアメリカも国として参考にしていたヴェネツィアは豊富な情報網を冷徹に判断していった。

圧巻はスペイン王兼神聖ローマ帝国皇帝のカルロスに勝てないフランスが、カルロス憎しの感情で内密にトルコと通商条約でなく軍事同盟を結ぼうとした時。
フランスから使者がトルコに向けて発った瞬間にヴェネツィアは把握し、現在の北イタリアのスペイン領、まだヴェネツィア領に入る前に暗殺してしまう。
ヴェネツィアは「他国領で起きた事件なので何も発言することはない」で済ませる。
人口の少ないヴェネツィアにとってはスペインとフランスが争っていたほうが都合がよく、大使一行全員を殺さずにフランス王の元に報告するように計算し
冷徹に実行する。自分の利害に関係のないことは決して感情では動かされない。
トルコとは争わないようにガラス玉を扱うように慎重に関係を築くも、いざ戦争を仕掛けられればレパントの海戦のようにほぼ一国でトルコ海軍を倒す。
トルコは「確かに船も人もなくなったけどいくらでも生産できる。ヒゲそられたみたいなもんで一時的にみっともないけどすぐに復活するよ」
と威嚇してみせたがレパント以降は一気に勢いをなくしていき、時代は大西洋が中心となっていく。

中世当時のヴェネツィアは産前と輝く華麗で豪華なヨーロッパの宝石だった。
華やかなのは街だけでなく、そこに住む人々、特に女たちも生を謳歌していた。
ヴェネツィア共和国では他国の元首を主賓にして元首公邸で催される舞踏会の花は、統治者階級に属する貴族の女たちで
ヨーロッパの女の流行はこのヴェネツィアから発していた。

地中海世界を中心とするヨーロッパの歴史の勉強になった
と言おうとしたらいつの間にかヴェネツィア絶賛になっていた。

ローマ人の物語 でローマ帝国は滅んじゃったけどその後どうなるの? という方には強くおすすめ。