日曜日, 8月 07, 2016

決断なき原爆投下



決断なき原爆投下をみた。

多くの日本人が
トルーマン=嫌い、感じ悪い、原爆投下を最終決定した
という印象だと思うがその考えに一石を投じると思われる。

今までも本番組のような
決断できないどちらかというと無能なトルーマン
という図は書物で読んだ記憶があるが、責任者の肉声インタビューとして聞くと改めて考えさせられたのでメモ。


ルーズベルト指揮のもと、グローヴス准将を責任者として原爆の計画は進められていた。
合計17発程度の原爆を投下予定だった。

ここでルーズベルトが急死。
後任のトルーマンは軍が原発計画を出してくるものの決断ができず。

軍としては最大の効果を上げるため一番京都に落としたかった。
軍と大統領の間に入る文官であるスティムソン陸軍長官は京都への投下を断固反対。
理由としては大きく2点
・京都に二度訪れお気に入りの都市であった
・原爆投下前から無差別爆撃をしている、ここで軍事施設でない都市に原爆投下で莫大な被害がでると
- 国際社会からアメリカはヒトラー以上の残虐行為をしていると非難される
- 戦争終結後、日本が反米国家になる
後者はトルーマンも同意。

番組ではグローヴス准将の未公開の肉声インタビューも公開される。
日本は降伏寸前である。
22億ドルかけた国家プロジェクト、戦争が終わる前に早く成果を出さなければ=原爆を落とさなければ問題となる。

そのため、トルーマンとスティムソンから承認を得るため
広島は軍事都市である
と説得する資料を作成し急ぎ計画を立てる。

長崎に投下される直前に、軍事都市ではなかったとトルーマンに知らされる。
トルーマンは
女子供を無差別に殺す原爆投下はこれ以上許可しない
と急ぎ通達した。
軍部の誘導を見抜けなかった責任は私にある、と。

戦後トルーマンの言動は
原爆投下は正しかった、多くのアメリカ人と日本人の生命を救った
と一変する。


たしかにそれぞれの立場に立つと

グローヴス准将であれば
「何の愛着もない異国のモンキーが何万数十万死のうと、投下せずに戦後責任を取らされるよりまし
スターリングラードとかもっと死んでるし」
と考えるような人もその時代ならいそう。
今の時代なら異常者だけど当時の軍というのはどこの国も異常になってしまっていたのだから単純な批判はできない。

トルーマンであれば
私は反対した、とか謝罪
という立場をもしとれば、投下自体を否定することになるので、国内からも国外からも非難轟々になる

戦勝国アメリカを裁判にかけられる国や機関はないが、もしそうなったとしたら
今でも続くナチスのユダヤ問題のように国際問題になっていただろう。
それをひっくり返す論法が有名な
原爆投下は正しかった、多くのアメリカ人と日本人の生命を救った
となる。
事実トルーマンは死ぬまでその立場を取り続ける。


私個人の感想で言えば
オバマ大統領が広島訪問で謝罪があるかないかが世界中の話題になったとのことだけど
多くの日本人が「ようきなすった」と思うだけで謝罪の有無には興味が無いのでは?と思う。
むしろ、謝罪なんてされたら
先の戦争について謝罪しろ
とかいうどこかのプロ市民と同列に扱われるから何もなくてよかったと日本人なら思っているのでは?

そもそも過去の戦争の背景、経緯、事実、を学ぶことは重要だけど、謝罪に意味があると考えているのはどこかのプロ市民だけ。
そうじゃなかったら欧州が起源のオリンピックなんて南米でできないし、キリスト教なんてもってのほかになっちゃう。


やはり結論としては負けた国は何も言えないということ。
ハワイ開戦とミッドウェー海戦で失敗したのがすべて。
勝てるはずはないが、指導者次第で引き分けにはできた可能性はあったので。
それこそ泥沼化する前に「多くの日本人とアメリカ人の命を救」えたはず。