金曜日, 12月 30, 2011

坂の上の雲〈1〉



以前読んだものの
どうせいつかは処分するし、大河ドラマで話題なうちに処分しちゃえ
という無粋な思惑によりもう一度読む

伊予の国出身で、日本の近代陸軍騎馬隊の基礎を作った秋山好古
同じく海軍の参謀として日露戦争にあたった秋山真之
同じく日本の俳句や短歌を見直しあたらしい風をふきこんだ正岡子規
の3人を主な主人公とした司馬さんの長編大作

一巻では秋山好古の以下の発言や言動をメモしておきたい
日頃から心がけていること、できるだけ自分自身の身の回りをシンプルにしておかなければいけない

男子は生涯一事をなせば足る
目標のためにかれの生活があるといってよく、自然、その生活は単純明快
身辺は単純明快でいい
男にとって必要なのは、「若いころにはなにをしようかということであり、老いては何をしたかということである」
というこのたったひとことだけを人生の目的としていた

まだ序盤なので
★★★

水曜日, 12月 28, 2011

おりこうさん おばかさんのお金の使い方



社長失格の板倉さんのお金感に関する著
内容は、お金に関して論理的に 考えられている人にとってはしごく当たり前の内容
そうでない人は一読の価値ありかも

例えば

量販店のポイントカードは貯めないでできるだけゼロに近づけておく
=>ポイントを貯めるとは現金を支払って、その店でしか使えないポイントを購入する行為だから
そのため、店員は「貯めますか?」と聞いてくる

所有か賃貸か
=>店舗はおろか本社ビルさえすべて賃貸ビルのイトーヨーカドーに対し、ダイエーは徹底的に店舗とその土地を購入し自社所有にし続けた
家でも車でも所有欲を満たすことが目的なのでなければ、また明確に「価値>>>価格」という状態でなければ賃貸で
ダイエーとイトーヨーカドーという二社のみ、また典型的な時代のサンプルでの結論は難しいが、とてもわかりやすいサンプル

会社は誰のものか、というよくある問いに対しても
会社はモノではなく仕組みだ
と言い、
FCFは投資家のもの
株主総会の議決権は株主のもの
と、個々には言えるが、従業員は誰のもの、という答えに解はない、と書く

板倉さんの書なので期待しましたが、内容は普通ですね。
★★★

月曜日, 12月 26, 2011

現場で使えるSQL 第2版 (DB Magazine SELECTION)

現場で使えるSQL 第2版
現場で使えるSQL 第2版
小野 哲

部屋の本棚にあったためこちらも整理のためにざっと読む
内容としては普通の入門本でしょうか
ただWeb系でいえば、メインではMySQL一択だと思われるのでOracleやSQLServerで書いてあるのは残念
将来のためにこれをとっておくぐらいならMySQLの方言をWebで調べるほうが早いなぁ、という感じ

★★★

金曜日, 12月 23, 2011

あなたの会社が90日で儲かる!(感情マーケティングでお客をつかむ)



あら、いやだ
本日12/23はアテクシの誕生日だ
もうこの歳になってしまうと、というかどの歳でも特にめでたくもない
なーんて思う私はやはり昔から冷めてるんでしょうね。。

最近はネット系の技術者からマーケや企画および財務方面に本格的に転職中
神田さんの本は以前2~3冊読んだことがあるものの
ま、読み物としてはおおしろいんでねーの?
ぐらいだったのでそれ以来積極的には手に取らずにいた。
読んだ本が成功者の告白お金と正義だったのでちょっと物語寄り過ぎて読んだ気になっちゃってたかも

友人に勧められたため、以前から評価が高く気になっていた本書を手に取る

あたりまえのことしか書いていないもののこれは良著
★★★★★
あたりまえのことが書いてあるから参考にならないとか読んだ気になるのはよくないので一度さっと読んでからもう一度読みました

マーケティングとは科学である
エモーショナルマーケティングを実践すると、あなたがお客さんを探すのではなく、お客さんがあなたを探すようになる

ほとんどの会社が人間の感情を考えずにビジネスをしている
人間は理性で買うのではない
感情で「買いたい!」と思い、その後に理性で理由付けを行う

商品のライフサイクルによって顧客の反応率/獲得コストは変わってくる
石の上にも三年、は石器時代の話。三ヶ月懸命にやって伸びなければ三年やっても一緒

DMやチラシの反応率1~3%など、石器時代のような数字でビジネスをしてはいけない
安売りはバカに任せておけばいい、安くすると割引以外に売る工夫をしなくなる
安売りはバカでもできるから、必ずあなたの価格を下回るバカが出てくる

お客は
購入しようとする商品、サービスの価値 > 支払う金額
と感じたときに購買決定する。
つまりモノを売る方法は
1. 値引き => すでにNGが証明されている
2. 商品、サービスの価値を高める => 価値には

水曜日, 12月 21, 2011

「好き」を仕事にする! AllAbout式年収100万円アップ術



AllAboutはメディアとして見せ方がうまいので
AllAbout式書き方の技術
という内容に惹かれ手に取る

ターゲットを絞る
絞らないと、どこにでもある内容になってしまう

◯期待感を盛り上げる
・冒頭で自分の言葉で内容をサマる
・ポイントごとに小見出しをつける
・結論を先に言わない
・ランキング1位は最後に発表
・改ページの際は、「次のページではあっと驚く〇〇が登場します!」のように。次へは使わない

しつこいくらいにターゲットのことを考える
・企画内容をざっくり言葉に落とす
・この企画のターゲットは誰か具体的にイメージしてみる
・ターゲットの気分になりきってみる
・ターゲット気分で思いついた言葉やフレーズを書きだす
・言葉を練る
・もう一度、ターゲットからそれていないか考える
・インターネットの中でこのタイトルに出会ったとき、ターゲットがクリックしたくなるか考える

◯読ませるタイトル
・共感、こういう情報が欲しかった、ちょうど今気になってた、というタイトル
焼肉を食べても太らない方法
とりあえず定期預金、の落とし穴
・流行言葉、ニュースのキーワード
格差婚のためのプロポーズ成功法
・特別感、限定感
12月に食べた73杯から6杯のラーメンを厳選
・和也網羅性で誘惑
まだ間にあう!夏休みイベント83連発
・平凡な内容は言葉で遊ぶ
食べてやせる人 vs 食べないでやせる人
・刺激する
おみくじ、、その勘違いが運を逃します
など、似合わない、勘違い、非常識、のような刺激する言葉
・意外性
平均貯蓄額1624万円、貯蓄ゼロが2割って本当?
やばい!本当?ん?という意外性

電車の中で広告を見て
・ターゲットは誰か?年齢、職業、趣味
・自分だったらどんなタイトルにするか
・自分のサイトのユーザがターゲットだったらこの企画にどんなタイトルをつけるか
など、トレーニングが出来る

◯キレイな写真を撮る基本
・光をうまく利用
・手ぶれ防止のためにカメラを固定
・アングルにこだわる
・背景で雰囲気を出す
・レフ板を使いこなす
・マクロモードを使う
・フラッシュに頼らない

月曜日, 12月 19, 2011

ネット広告ハンドブック 最新知識から出稿の実務、効果測定、技術動向まで



amazonで評価が高いから購入してみたけどこれはオススメしない。

本書でターゲットがどうとか言ってるんだけど、この本のターゲットはどこなんだろう。
ある程度ネット界にいる人なら技術者あがり自分でも知ってる内容ばかり。
新人だとそもそもつまんないで読まなそうな気がする。
一応全部読みましたがかなり速読という名の読み飛ばしでした。

金曜日, 12月 16, 2011

胡蝶の夢〈4〉



徳川が西軍に攻められ、昔長崎で一緒に学んだ仲間と従軍医としてではあるものの対立する松本良順
武士は鎌倉風でいい、と食録の恩を返す単純な主従関係で充分と考えていた松本良順は医師でありながら武士
新政府軍に捉えられ、その後解放された開業医として活動したのが早稲田とかのあたりとのこと
もしかして、長崎をなつかしんだ松本良順たちが少しずれるけど東長崎と地名したのかと調べたけど
長崎(豊島区)
それよりもだいぶ前からだった模様。。

残念だけどあまり私には合わず、、かなり読んだ司馬さんの作品の中ではかなり面白くなかった作品です。。

★★

水曜日, 12月 14, 2011

胡蝶の夢〈第3巻〉



前巻に続き、引き続きあまりおもしろくない。。

ようやく後半の方になり物語に動きが出はじめて面白くなってくる

ポンペが帰国したため長崎から江戸に呼び戻され将軍家を見る将軍侍医となる。

医者、絵師、技師法外の人ということで身分の外に置かれた。
たとえば将軍侍医などは将軍家の体に触れるため身分が高くなければならず、結果権力はもたないものの大名と同程度の位とされた。

また、この当時は、将軍侍医と言えど、西洋の学問をしているとなると問答無用で切る攘夷家が多いため松本良順も危険だった。
そんな時、松本良順宅に近藤勇が訪ねてくる。
松本良順は順天堂を起こした実父佐藤泰然の影響もありもともと武士っぽい性格を持っていた。
話をしてみて内容次第では切るつもりでやってきた近藤勇は松本良順と意気投合してしまい、2~3歳年長の松本良順を兄として義兄弟の契りを交わすまでになった。
もともと新撰組であることに劣等感をどこかに抱いていた近藤勇は
自分も境遇が違えば新撰組であったかもしれない
という松本良順の酔った席での言葉に感動し、また、新撰組の体調不良者を全員診察する、という行動に対して近藤勇は平伏しますます新選組と絆を強くしていく。

また、将軍家茂の臨終間際の話。
家茂は人の上に立つには充分な人柄と、有能ではないために悲痛なほどの責任感とそれによる苦悩を持っていた。
しばしば
自分は非常の時代に将軍になるような器ではない。一橋どのと代わりたい
と漏らしていた。

病床では医者、この場合は松本良順だけが友であり頼りだった。
松本がそばにいることで安心し、そのため松本はそばで何日も寝ることが出来ず極限まで来ていた。
座ったまま眠ってしまいよだれを流していたところを
松本、松本
と呼ばれた。起きてはっと家茂の口もとに耳を近づけると
そちは居眠りの名人だ
と大事でも打ち明けるようにいい、微笑するだけでも努力のいる病態で笑ってみせた。
それだけのことで松本良順はなぜか生涯このことがわすれることができず、思い出すたびに涙した。

このままでは粗相をするかもしれないから1時間だけでも寝させて欲しい。
と家茂に訴えたところ
それはかわいそうなことをした
しかし松本、頼む
と不安という異常心理にある家茂は頼み
わしは、我儘はいうな、といって育てられた。奥でも表でも家来に我儘をいったことがない。松本、そちだけにいうのだ。
こうしよう、ここで寝よ、わしのふとんの中で寝よ
と言われ招き入れられてしまったので、眠気どころではなくかえって目がさめてしまい、かといって眠った体にしなければ家茂に悪いため懸命にいびきをかいて眠ったふりをした。家茂も安心した。

このあたりのエピソードがおもしろい

月曜日, 12月 12, 2011

城塞 (下巻)



日本人に愛されるには詩人もしくは詩的行動者でなければならない
大阪籠城軍諸将の人生と行動はいかにも詩的であり、縞団右衛門はそのなかでもきわだっている

後藤又兵衛
又兵衛は、決戦を決意した。
この時代の習慣としてはめずらしく演説に似たようなものを、おおぜいを相手に語っている。
語った内容というのは
「この又兵衛はじつにうんがよかった」
ということを強調したもので、
「ひさしく牢浪して、おそらくはこのまま草木とともに朽ちはつべしと思うたところ、はからずも右大臣家に召しだされ、うれしや、かような晴れがましき戦場を与えられた。今生においてもはや悔い残すことはなく、いまこそ大恩に酬い参らせるときである。おのおの頼みに存ずる」
と言い、折り敷いた人の群れのなかに割って入り、頼みに存ずる存ずると声をかけつつゆくと、ひとびとは低い声を上げてそれに和し、又兵衛の気持ちに同心した。

若い頃は例えば同盟者である信長に対する実直さが商売のようにまでなっていた家康
老年になってからタヌキおやじと後年に言われるような暗い政治工作が目立った
大阪夏の陣でも圧倒的に数的有利に立ちながらそれでも政治工作をしつづける
城攻めの名人と言われた秀吉が、
攻めにくく作っているんだから城攻めが難しいのは当たり前
と、様々な工作をしながらからっとした印象であったのは
敵の被害および味方の被害を最小限にする
というのが誰の目にも明らかであったから。家康の場合はそのように周囲にみせる努力が足りなかったために徳川政権260年も含めた後世の評価は陰湿、と写ってしまう

後藤又兵衛が無謀にも家康軍に突っ込んで戦死したと聞いたとき、淀殿を筆頭とする無策の犠牲者で無二の理解者であった真田幸村は
城(堀)ほうしなったこの戦いには、もはや一分の勝ち目もない
勝ち目がない以上、いかに美しく死んでおのれの名をすがすがしくするかということしかなく、おなじ負けるなら自分の指揮一つで進退できる手兵をひきいてあざやかな戦闘をしてみせてあざやかな印象を敵という世間にあたえつつ死ぬのが最良の方法であり、もし幸村がその位置に置かれてもそうしたにちがいない

この馬も兜も見おぼえておいてもらいたい
乱軍の中で真田幸村がいかにあざやかに采配をふるい、いかにいさぎよく戦い、戦死するかというその情景を、敵側に従軍する原某にありありと目撃しておいてもらってのちのちの語り草にしてもらいたい
自分が、この負けるときまった戦場においてせめてどのような男であったかということを勝者に立つ原某に知っておいてもらいたい
ででなければ、生きづらい世を懸命に堪えて生きてきた自分の一生というものがあまりに哀れであるという気持ちがあったのであろう

金曜日, 12月 09, 2011

簡単に貯金が増える! 儲かる「お仕事」100



昔堀江さんのblogで宣伝していて知ったと記憶、話のネタorビジネスのネタにと手を取る

多少なりとも興味を持ったのが

冠婚葬祭の出席代行
アドバルーン監視員
墓参り代行
介護食宅配サービス
カウチサーフィン受け入れ
試験監督
撮影の部屋貸し
ボロアパート女子寮
バックパッカー向けゲストハウス開業
過疎地への雑貨訪問販売
海外在住者向け買い物代行
外国人向けマンスリーマンション
限界集落での葬式営業
物件立会人
チャイルドシッター
こども英語教室の講師
ネット検索代行

月曜日, 12月 05, 2011

逆説の日本史〈8〉中世混沌編―室町文化と一揆の謎



足利義教亡き後は強力な指導者が現れずに渾沌とし、応仁の乱に象徴されるまさに混乱の時代に突入する

幕府の有力者達は
有能な将軍は要らない。将軍は飾りで自分たちがその神輿を担ぐからむしろ無能でいい
という空気が支配する。
将軍自身も義教後では下手に有能だと暗殺されてしまうので
政には興味がありません、文化の保護者です
という将軍が多かった。

象徴が、飢饉で都でも餓死者が溢れる中、足利義政は
天下が破れるなら破れよ、世間が滅びるなら滅びよ、人はともあれ我が身さえ富貴ならば (応仁記)
という態度であったという。
実際このように詠んだかでっちあげかは問題でなく少なくとも同時代人は将軍ならこう詠んでもおかしくないと思われていた証拠

そのため史上最悪の悪妻と言われ最も金に汚いと後世言われる日野富子のような強烈な個性であったり、半将軍といわれるほどの細川政元のような人物を生んだ。
この時代は敵味方も頻繁に入れ替わりぐちゃぐちゃ、裏切りも日常茶飯事。

平和秩序としては落第点でも
我々は室町の子
と例えていた方もいたぐらい能をパトロンとして保護した義満であったり文化への関わりは強かった。
畳にしても室町からだし、今の湯風呂も室町から
(畳のような凝ったものの前はフローリングというほどオサレなものでなく普通の板張りが主、またそれ以前は高温の意思に水をかけ蒸気を浴びるサウナのようなものを風呂とよんでいた)

室町時代に作られた文化や生活様式が、そのころはぜいたく品でありつつも時代が下って行くに従い江戸時代あたりにようやく庶民にも浸透していった。
それを今の我々は日本風/和風であると認め暮らしている、その意味で我々の生活文化は室町であるというのは一理ある

また、最後の章では能、将棋、折り紙と風呂敷、花のみち茶に代表される室町文化を解説
古代インド将棋チャトランガが西に伝わりチェスになり、東に伝わり将棋になるが、これに駒を再利用できる、というルールを加えたのは日本人だけ。
海外の文化を輸入してそのオリジナルを改善/改良するというのはまさに日本のお家芸。
ただし将棋には日本文化が詰まっている。
元々戦争ゲームであったが、日本人はゲームであっても戦争は死の穢れを連想させるためそれすらも変えてしまった。
つまり、戦争であれば戦争時に捕虜がそのまま使えるなどはありえない。
また、金/銀/肉桂/香などモノの名前をつけていることからも、輸入当初は戦争ゲームであったものを、相手を買収すれば当然自分の資源として再利用できるモノポリーに近いゲームに作り替えた。
日本人は寝返りが日常茶飯事な気味の悪い民族だ、ということではなく、死を忌み嫌っていたためまったく別のゲームへと変えてしまった。

また、日本では茶が文化となっている。
日本だけが水が安全で他の国は水を飲むには煮沸や消毒の必要があった、その手段の1つとして茶があった。
日本では消毒を目的としては茶の必要はなかった。
非日常であったため文化に昇華されやすかった。

★★★

金曜日, 12月 02, 2011

新装版 歳月 (下)



西郷は
革命に流血が足りなかった、国土が焦土なり果ててようやく新しい国が生まれる
という考えであったから、また国内の主に長州閥の腐敗を見て世の中に嫌気がさし死に場所を求めていたため、盛んに征韓論をとなえその使者にするようにと説得する。

大久保との対決後、西郷の征韓論が潰えそうになったとき、西郷は決議の午後を
私は言うべきことはすべて言った。残っている問題はこの身の進退だけである。
と欠席する。その欠席が無言の威圧感となり、岩倉具視と三条実美が西郷が事実上の征夷大将軍である陸軍大将を辞して故郷に帰るといっている西郷を恐れて逆転して征韓が決定してしまう。

事前の大久保の考えは
「なるほど西郷が辞職ともなればこの政府はつぶれるかもしれませぬ。
しかし西郷の征韓論を容れれば日本がつぶれます。断固として容れるわけには参りませぬ」
と岩倉とタッグを組んでいたため、岩倉に裏切られた形となった大久保は翌営業日に三条実美宛に辞表理由書を出し
「自分は暗愚で国家の重任を負うことができない。とはいえ国家のことを放置するわけではなく、今後征韓方針によって戦争がおこったあかつきには兵卒ともなって一死国恩にむくいるつもりである」
と書いた。
その後、真面目だけが能力だった三条実美が病に倒れ、伊藤俊輔が奔走し、代行を務めた岩倉具視が征韓論反対を明確に再度示し、西郷は薩摩に帰り、後の西南戦争につながった。

西郷とともに征韓論を唱えたため江藤もやめざるを得ず、その後佐賀の「担げる神輿を探している不平分子たち」に声をかけられて大久保の策略にものり乱の首謀者に祭り上げられていく。

戦争は指揮する人間がいないため佐賀側があっけなく破れ、江藤は薩摩、土佐と周るも最後は捉えられる。
全権を任された大久保が見せしめのために超法規的に江藤たちを梟首とした。
田中河内介父子を惨殺したように、大久保は政略上必要であればなんでもする、という方針であることを江藤はしらないための最後だった。