月曜日, 3月 27, 2017

わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡



わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈1〉
わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈1〉

わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈2〉
わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈2〉

わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈3〉
わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈3〉

マキアヴェッリというと、大学時代に授業と本で勉強したもののつまらなくて
なんでこの人が後世に評価されてるんだろう、人は小難しいことを読んでる自分に酔いたいのかな?
という印象しかなかった

今読むと、昔読んでおもしろくないのは無理もないとわかる
時代背景も何もわからず読んでもおもしろいわけがない

本作わが友マキアヴェッリは、、おもしろい
おもしろいというか、ヨーロッパの中ではイタリア好きな自分としては
イタリアしっかりしてくれ><
と歯がゆく思いながら読んだ。

特に

ローマ法王っている?
すべてに原因があるとは言わないけど、宗教心の薄い日本人としても疑問だし、欧米の多くの人も思っているのではないか。
日本も天皇家が今は善良な方々だけど歴史をさかのぼれば天皇や上皇が同様に問題を問題を起こしていた例も多くあるから人の国のことはとやかく言えないけど。

フィレンツェにとってはメディチ家っているの?
金融の街フィレンツェにとってメディチ家は僭主制で裏の実力者として存在、
コシモ・デ・メディチやロレンツォ・デ・メディチのように実力のある人もいたけど多くがフィレンツェにとっては悪影響。
ピエロ・デ・メディチはフランスにびびってしまい戦わずして開城し混乱の数年を招くし。

1527年の「ローマ略奪」は最たるもの
メディチ家出身の法王クレメンテがスペイン=神聖ローマ帝国にびびってしまい、勝てたであろう戦もせずに無抵抗のままローマまでの行軍を許し数ヶ月に渡る略奪破壊行為がされる。

他の地方と比較すると
ん?ローマってあんまり美しくない?
という印象を受けるのだけど、まさに「ローマ略奪」により歴史的価値のあるものが8割方破壊されてしまったことが原因。
第2次大戦のような大規模な近代戦ですら、フィレンツェの歴史的価値あるものは攻撃対象から外され、そのおかげであの調和の取れた町並みが今でも見れるのでローマが破壊されていなければどのような世界がみれたのだろうと残念。。

結果、イタリアの最強国ヴェネツィア以外のイタリア半島ほとんどが結局はスペイン=神聖ローマ帝国領となってしまう。
フィレンツェも例外ではなく、スペイン王=神聖ローマ帝国皇帝のカルロスと手を組んだメディチ家が復帰して縁戚関係も結びフィレンツェ共和国は滅亡、ルネサンスの終焉、以後君主制になっていく。

当時はイタリアに比べたら他が田舎で、都市化したイタリアにとっては戦争ができなくなっていた。
戦争で農工商の人たちが取られたら経済が成り立たないしペイしない、自然傭兵が主流となっていくものの、、
傭兵とはビジネスだからなるべく自分の商品を傷つけないようにパフォーマンスとしてしか戦争はしない、もし危なくなったら郷土でも家族でもないものを守るという気持ちもない。
この点からマキアヴェッリは正当な暴力装置を持たなければ大国にいいように飲み込まれる、と力説し実際に動き回りフィレンツェ軍を作れるもクーデターが起こりメディチ家に潰され、すべての職をクビになる。

時代が都市国家型の、「通商ができることが最大目的」という時代から、領土侵略型の時代に移っていった。

主役は
神聖ローマ帝国兼スペイン王のカルロス
16歳でスペイン王、当時スペイン領だったナポリとシチリアも手にし、19歳で神聖ローマ帝国皇帝、スペイン王としては自動的に当時大変な勢いで植民地化しつつあった新大陸の支配者にもなる
フランソワ一世
21歳でフランス王
ヘンリー八世
18歳で英国王
スレイマン大帝
26歳でトルコの専制君主に即位
共通点が、いずれも即位時に若く、相当に英邁で、少しの無理をする必要もなく、絶対君主の地位を占めた。

イタリアはチェーザレ・ボルジアを恐れ潰してしまったけど、結局イタリアが他国から侵略されないためには彼を利用することが最後のチャンスだった。

強大な力を持つスペイン=神聖ローマ帝国のハプスブルク家はもともとスイスの一豪族だったのが
戦争は他家にやらせておけ
という家訓の元、姻戚を武器にヨーロッパ中に勢力を広めていく。
最後は領土が広大になりすぎて統治できなくなり分割していくという古代ローマ帝国のようになる。


マキアヴェッリは楽しい人であったし、何よりフィレンツェに対する愛国心に惚れる。
男にとって最大の幸福は国家のために尽くせること
という思想の元
前半生は、生まれが普通だったから権力は握れなかったが一人何役もこなす官僚トップの座で活躍し
クーデター後は物書きとして過ごしながらもなんとか登用してくれるように活動し続け、最後はボロボロになりながらもフィレンツェの選挙に出る。

自分ではメディチ家と親しくないので当選すると思っていたが、自分を登用してくれるようにメディチ家に頼み続けていたことや、メディチ家からフィレンツェ史の執筆依頼をされていたことから、メディチ憎しの市民から親しいと思われ選ばれず。
失意のもと自殺ではないかとも思える薬の摂取過多で亡くなる。

金曜日, 3月 17, 2017

コンスタンティノープルの陥落、ロードス島攻防記、レパントの海戦



コンスタンティノープルの陥落
コンスタンティノープルの陥落

ロードス島攻防記
ロードス島攻防記

レパントの海戦
レパントの海戦


この3冊のシリーズも全巻いつも同様に序盤つまらなすぎてどうしようと思いましたが終わってみれば面白いのでおすすめです

どれもあまり知識のなかったトルコ帝国vs地中海の各国家という内容

*コンスタンティノープルの陥落

東ローマ帝国として長年栄えたビザンチン帝国vs若い国として勢いづいてきたトルコ
東がモンゴル帝国とか強いので消去法で西に領土拡大していく

19歳で帝位についたマホメッド二世、21歳の時に不落のコンスタンティノープルを16万の軍勢で攻める
守る側は圧倒的無勢

原始的ではあるものの時代を変えつつあった大砲+圧倒的陸軍の数の差
奴隷のトルコ軍が攻城をしているときにも構わず大砲を撃ち続ける

一番の盛り上がりはマホメッド二世の
「街は、もはやわれわれのものだ!」
ビザンチン帝国の終焉と新興国トルコの台頭


*ロードス島攻防記

聖ヨハネ騎士団とかあまり興味がなかったので序盤つまらなかった
でも中盤あたりからおもしろくこれも勉強になった

トルコの専制君主スレイマンが28歳の時にロードス島の聖ヨハネ騎士団の居城を攻めた攻防期
これも堅い城であるもののトルコは圧倒的陸軍の数で攻める攻める
最後は圧倒的数の差でスレイマンが降伏を勧める
条件としては劣勢では悪くない
財産をすべて持っていって良いから城を明け渡し出ていくこと
もし残りたいなら市民が入れば数年税金なども免除するし宗教も自由
スレイマンは去る者全員に対して、トルコ帝国内通行の安全と自由を保証した

もうこの条件を飲まざるをえなかった聖ヨハネ騎士団とスレイマンの対面が一番の盛り上がり
スレイマン
「わたしは、勝った。だが、それなのに、あなたとあなたの配下のような勇敢で義に厚い人人を、その棲家から追いださなくてはならないようになってしまった事態に、心からの悲しみを感じないではいられない」
聖ヨハネ騎士団
「彼こそ、まことの騎士である」
聖ヨハネ騎士団は流れ流れて独立国マルタ共和国となり現在に至る


*レパントの海戦
これはヴェネツィアを中心とした西ヨーロッパvsトルコ帝国
西ヨーロッパといっても中心は、勢いのある新興国スペインと、都市国家ヴェネツィアの経済力&海軍力、あとちょっとはローマ法王やイタリア各都市国家

ヴェネツィアは地中海を商圏とすることで生きてきたのでトルコとの関係は非常に重要で通商が途切れてしまうと死活問題となる。
翻って他国はヴェネツィアほど困っていないのでさほど戦争に真剣でない。
スペイン王も弟を派遣するものの、トルコとは戦わずにアフリカを攻めるように含ませるなどまったく統一感がない。
ただトルコは海軍も得意ではないしスルタン自らが出征していないのでここでも悲壮感はない。

結局レパントの海戦ではなんとかキリスト連合が勝つものの、、スペインは以後再戦を先延ばしにする。

ヴェネツィアはエコノミック・アニマル的なので当時の多くの国からは好かれてはいなかった
が、もうスペインもあてにならない以上、不利な条件でもトルコと和を結び通商を復活することを選ぶ
ヴェネツィアとしては選択肢の一つだが他の国から見るとビジネスしか考えになく異教徒よりも信じられん、と思われヴェニスの商人のような思いをもたれる。

レパントで勝ったもののヴェネツィアはトルコとの交渉では苦戦する
オスマン帝国第11代皇帝セリム2世時代の大宰相ソコルル・メフメト・パシャがベネチアの大使マルカントニオ・バルバロに言った有名な言葉
「あなた方は、我々がこの不幸をどのように乗り切ったのかを見に来たのだろう。
しかし、我々の心とあなた方の心との間ににある違いにお気づきいただきたい。
キプロス島をあなた方から勝ち取り、あなた方の腕を切り取った。
あなた方はと言えば、レパントを勝ち取り、我々のひげを切り落とした。
切られた腕は再び生えてはこないが、切られたひげはさらに頑丈になって生えてくる。」
軍人に使える人口は西洋諸国に比べ桁違いなのでいくらでも投入できるし船だって人を投入して作ればよいだけ、現に作ってる、と。

この戦いが象徴となり
地中海は世界の中心ではなくなり大西洋などの大航海時代となる
自然、ヴェネツィアのビジネスも影響力が落ちていく
トルコは大帝国から徐々に勢いが弱まっていく

一番の盛り上がりはレパントでの壮絶な戦いとその後のコンスタンティノープル駐在ヴェネツィア大使のバルバロの元老院での帰還報告演説
「国家の安定と永続は、軍事力によるものばかりではない。
他国が我々をどう思っているかの評価と、他国に対する毅然とした態度によることが多いものである。
ここ数年、トルコ人は、我々ベネツィアが、結局は妥協に逃げるということを察知していた。
 それは、我々の彼等への態度が、礼を尽くすという外交上の必要以上に、卑屈であったからである。
ベネツィアは、トルコの弱点を指摘することを控え、ベネツィアの有利を明示することを怠った。
結果として、トルコ人本来の傲慢と尊大と横柄にとどめをかけることができなくなり、彼らを、不合理な情熱に駆けることになってしまったのである。」

いろいろと考えさせられる。
ヴェネツィアは愛国心も強い人が多く一人ひとりが優秀な人が揃うけど、英雄が生まれにくい、いい意味でも悪い意味でも堅牢な制度がある。
そのため長い時代を通じて国家の軌道修正がしにくく最後はナポレオンに攻められヴェネツィア帝国は終焉する。