わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈1〉
わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈2〉
わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈3〉
マキアヴェッリというと、大学時代に授業と本で勉強したもののつまらなくて
なんでこの人が後世に評価されてるんだろう、人は小難しいことを読んでる自分に酔いたいのかな?
という印象しかなかった
今読むと、昔読んでおもしろくないのは無理もないとわかる
時代背景も何もわからず読んでもおもしろいわけがない
本作わが友マキアヴェッリは、、おもしろい
おもしろいというか、ヨーロッパの中ではイタリア好きな自分としては
イタリアしっかりしてくれ><
と歯がゆく思いながら読んだ。
特に
ローマ法王っている?
すべてに原因があるとは言わないけど、宗教心の薄い日本人としても疑問だし、欧米の多くの人も思っているのではないか。
日本も天皇家が今は善良な方々だけど歴史をさかのぼれば天皇や上皇が同様に問題を問題を起こしていた例も多くあるから人の国のことはとやかく言えないけど。
フィレンツェにとってはメディチ家っているの?
金融の街フィレンツェにとってメディチ家は僭主制で裏の実力者として存在、
コシモ・デ・メディチやロレンツォ・デ・メディチのように実力のある人もいたけど多くがフィレンツェにとっては悪影響。
ピエロ・デ・メディチはフランスにびびってしまい戦わずして開城し混乱の数年を招くし。
1527年の「ローマ略奪」は最たるもの
メディチ家出身の法王クレメンテがスペイン=神聖ローマ帝国にびびってしまい、勝てたであろう戦もせずに無抵抗のままローマまでの行軍を許し数ヶ月に渡る略奪破壊行為がされる。
他の地方と比較すると
ん?ローマってあんまり美しくない?
という印象を受けるのだけど、まさに「ローマ略奪」により歴史的価値のあるものが8割方破壊されてしまったことが原因。
第2次大戦のような大規模な近代戦ですら、フィレンツェの歴史的価値あるものは攻撃対象から外され、そのおかげであの調和の取れた町並みが今でも見れるのでローマが破壊されていなければどのような世界がみれたのだろうと残念。。
結果、イタリアの最強国ヴェネツィア以外のイタリア半島ほとんどが結局はスペイン=神聖ローマ帝国領となってしまう。
フィレンツェも例外ではなく、スペイン王=神聖ローマ帝国皇帝のカルロスと手を組んだメディチ家が復帰して縁戚関係も結びフィレンツェ共和国は滅亡、ルネサンスの終焉、以後君主制になっていく。
当時はイタリアに比べたら他が田舎で、都市化したイタリアにとっては戦争ができなくなっていた。
戦争で農工商の人たちが取られたら経済が成り立たないしペイしない、自然傭兵が主流となっていくものの、、
傭兵とはビジネスだからなるべく自分の商品を傷つけないようにパフォーマンスとしてしか戦争はしない、もし危なくなったら郷土でも家族でもないものを守るという気持ちもない。
この点からマキアヴェッリは正当な暴力装置を持たなければ大国にいいように飲み込まれる、と力説し実際に動き回りフィレンツェ軍を作れるもクーデターが起こりメディチ家に潰され、すべての職をクビになる。
時代が都市国家型の、「通商ができることが最大目的」という時代から、領土侵略型の時代に移っていった。
主役は
神聖ローマ帝国兼スペイン王のカルロス
16歳でスペイン王、当時スペイン領だったナポリとシチリアも手にし、19歳で神聖ローマ帝国皇帝、スペイン王としては自動的に当時大変な勢いで植民地化しつつあった新大陸の支配者にもなる
フランソワ一世
21歳でフランス王
ヘンリー八世
18歳で英国王
スレイマン大帝
26歳でトルコの専制君主に即位
共通点が、いずれも即位時に若く、相当に英邁で、少しの無理をする必要もなく、絶対君主の地位を占めた。
イタリアはチェーザレ・ボルジアを恐れ潰してしまったけど、結局イタリアが他国から侵略されないためには彼を利用することが最後のチャンスだった。
強大な力を持つスペイン=神聖ローマ帝国のハプスブルク家はもともとスイスの一豪族だったのが
戦争は他家にやらせておけ
という家訓の元、姻戚を武器にヨーロッパ中に勢力を広めていく。
最後は領土が広大になりすぎて統治できなくなり分割していくという古代ローマ帝国のようになる。
マキアヴェッリは楽しい人であったし、何よりフィレンツェに対する愛国心に惚れる。
男にとって最大の幸福は国家のために尽くせること
という思想の元
前半生は、生まれが普通だったから権力は握れなかったが一人何役もこなす官僚トップの座で活躍し
クーデター後は物書きとして過ごしながらもなんとか登用してくれるように活動し続け、最後はボロボロになりながらもフィレンツェの選挙に出る。
自分ではメディチ家と親しくないので当選すると思っていたが、自分を登用してくれるようにメディチ家に頼み続けていたことや、メディチ家からフィレンツェ史の執筆依頼をされていたことから、メディチ憎しの市民から親しいと思われ選ばれず。
失意のもと自殺ではないかとも思える薬の摂取過多で亡くなる。