水曜日, 8月 25, 2010

翔ぶが如く〈8〉



明治十年二月、ついに薩軍が鹿児島から熊本城めざして進軍、西南戦争が始まる。

司馬さんの調査に寄って読み進めると
薩軍は桐野利秋と篠原国幹が中心であり、西郷隆盛はただの象徴となり口をまったくはさまなかった
二人、特に桐野は、少人数の戦闘では天才的なものがあったが、この規模の戦争を指揮するには戦略も何もなかった
薩軍が熊本城を落とすにはたけやりで充分、と

事実、この当時の政府はすこぶる評判が悪く、多くが薩軍に買って欲しいと思っていたし、事実勝てるだけの戦力もあったとのこと
この当時の明治政府の目的は近代化して欧米に追いつくこと、民主化などは板垣退助も思い出したように言い出しただけで、当時の政府要人で思想があったのは木戸孝允ぐらいであったという。

村田新八のほうが桐野や篠原よりも戦略など勝っていたが、薩軍は
西郷大将が、桐野少将と篠原少将を従えて明治政府に意見をしにいく
という名目があったので、文官であった村田新八は表立てなかった。

余談ながら、熊本城は加藤清正が農業をはじめとして人望熱く納めていた。
また、徳川時代は家康の方針により島津家の抑えの役割を果たすため細川を充てていた。
そのため守るに硬く、決して落としやすい城ではなかった。

また、後半は乃木希典が中心になる
一般的には乃木希典は名将と言われているが、司馬さんの評価では愚将
経験もなく(西南戦争のこの時はまだ)年も若い乃木が、他の優秀な人物より地位が上と評価されていたのは、長州出身で山形有朋などから引き上げられた以外の理由がない
と言い切る。
この時点でも薩軍に負けてすらいないのに敗走を重ねたり、部下の吉田(乃木より年長で筆者の調査では乃木よりはるかに優秀だった)を無駄死にさせてしまったりなど。

全10巻もあと2巻。しんどかったじきもあるけどがんばるぞ(笑...

★★★