金曜日, 9月 24, 2010
翔ぶが如く〈9〉
いよいよ9巻
途中の永山弥一郎の死に様
この戦に初めから反対するも、西郷が立つのであれば、西郷のためであれば、と戦に加わる人物も少なくなかった。
桐野および西郷から強く説得された永山は戦が始まると「自分は反対したんだが」ということは一切言わずただ国(=薩摩)のために戦った。
人望のあった永山は、自害に当たり老婆が「小屋は差し上げる、礼など要らない」というのも聞かず、当時としては立派な家が建つ百円を渡し小屋に火をつけ自刃した。
薩摩本体ではなく熊本共同隊として参加している崎村常雄のエピソードにも心打たれる。
・西南戦争において薩軍は西郷という存在が戦略のすべてであったこと
(西郷が手中にあるかぎり東京まで戦わずしてたどり着けると桐野を中心に過信していたこと)
・薩摩の他郷人を排除もしくは軽視する振る舞い
の二点を主として、薩軍に協力することに疑問を感じる共同隊の人々も出始めていた。
崎村の発言は
「戦いはおそらく勝ち目はあるまい」
「勝敗はすでに決している」
「しかし男子がひとたび決断して大事を挙げた上は、勝ち目がないといってそれをやめることはできず、終局を仕遂げあげねばならない」
「とてもこの戦いは勝てない。諸君のうち郷里に帰りたいと思うものは帰るがよい」
「帰って其の父母妻子に対する義務を尽くすもまた人生の退任を尽くす所以である」
「余等と共に望みなき戦いを続けんとするものは留まれ」
などであった。崎村の演説に心を打たれたのか実際に帰郷する者は3人だけだった。
またその3人にも軍費から旅費手当として充分に与えた。
勇猛さでは薩摩隼人が勝っていた。
それでも政府軍が徐々に優位に立つ。
大村益次郎亡き後、するすると軍の実権を握っていた山県有朋の性格により圧倒的に質量ともに優位に立たなければ戦をしないともいえる方針も手伝う。
当時の日本の製造能力を超えていたため新式の銃器を山県は輸入させ、薩長の的であった会津など含め徴兵しあたらせた。
これは近隣諸国よりも弱いと評判であった尾張兵を要する織田信長が近代兵器を揃えることにより天下を取るまでになったことと似ている。
実際の先頭の戦術などはまったく才能がなかったと言われる山県有朋だが兵站や軍政などには秀でていた。
昭和期の戦争も含め日本の戦は兵站面が弱かった。
逆に欧州の戦争はローマ軍に始まり兵站が強い。山県はこの点で欧州に近い思想の持ち主だった。
明治十年の最後の大きな内戦である西南戦争がいかにすさまじかったかをうかがい知れる筆者の描写力。
敵味方双方が撃った銃弾が途中でぶつかり、団子状にくっついた塊となったものが見つかることがある。
これは偶然ではなく、この戦争がいかに激しかったかを物語っている。
また、戦の終盤からは西郷と桐野の間も疎遠になっていく
西郷は若者を過度に愛する癖があり、村田新八/大山巌、桐野/篠原、辺見/別府とかわいがった。
中でも著者のいう一介のテロリストである桐野、書生篠原にかつがれ、結果として名声を利用された形となる西郷は内心は「だまされた/見誤った」と思いつつも性格からそのようなことは口にしなかった。
情報を遮断されていた西郷にも劣勢が伝わるころになるとすでに失ってしまった二千以上の薩摩の若人達への責任の意味でも最後の一兵になるまで自分の名声と身を預ける形となった。
両軍とも象徴として独り歩きしている西郷を手にするべく攻防が最終巻に続く