金曜日, 10月 28, 2011
城塞 (中巻)
後年になると、大坂冬の陣および夏の陣での鬼神の活躍により真田幸村がはるかに有名だが、豊臣家に呼ばれた時は幸村の亡き父の真田昌幸が有名であるだけで幸村自信はまったくの無名だった。
父親が臨終の際に
徳川に対して勝てる秘策があるがおまえには無理だ
という。
将棋は手が同じであれば誰が指しても同じである
しかし、世間には(いくさの大将のように)同じことを言っても誰が言ったかによって聞き入れられたり聞き入れられなかったりする
知名度のある自分だから周りは納得するのであって、知名度や実績のないおまえではこの策を伝えても無駄だ、用いられない
と言っていたのは、世の中まさにそうだなと実感。
たとえ敗けても幸村には失うべき城も領地もない
死に花も花なら咲かせ得である
死の危険をともなう賭けとその情念のつよさは泰平の世のひとびとにはわかりにくい
というくだりなど、IT戦国時代でニッチ分野ならまだまだ勝負が可能な今でこそ若者は刻むべき言葉だろう。
また、本心かゆさぶりかは不明だが幸村に苦戦した家康が幸村を取り込みに来た時の言葉
「私をひろってくださったのは右大臣家である
それまでどうであったろう
所領をうしない、亡父とともに高野の山麓で蟄居し、天下のたれもが相手にせず、日常は鬱々たるものであった
そのそれがしに右大臣家からお召があり、いきなり八千人の将にしてくだされた
物質的処遇としては家康が提示した一万石のほうがはるかに値は大きい
が、幸村が秀頼に感謝しているところは、自分の器量を見出してくれ、仕事の場をあたえてくれた、ということであった
この天下の名城に拠って八千人を切りまわせば、天下の大軍を相手にしうる、男子の本懐とはそういうものであり、所領をどれほどもらうということではないのだ、という意味である
この幸村、たとえ日本国の半分を割きあたえられようとも、この御城を退きませぬぞ、左様に申し上げられよ」
も男であれば刺さる。
★★★★