金曜日, 12月 03, 2010
項羽と劉邦〈中〉 (新潮文庫)
中巻から劉邦の元にきら星のごとき有能な人材が集まってくる
しかし紀元前200年ぐらいの出来事がここまで詳細に資料として残っているのはすごい
まずは蕭何
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%AD%E4%BD%95
蕭何は上巻から出ていたが、中巻でも劉邦を支える
元々劉邦を野から引っ張り上げてきたのも蕭何
ある意味で最前線の戦闘よりも重要であるとも言われる、いわゆる兵站と言われるような役割を担当
小説に内政は書きづらいためあまり書かれていないが、兵站も含めた全裏方であたり内政を担当していたと思われる
秦の都を落とした時も、多くが当然ではあるが、金銀や女などを求め無秩序状態に
が、蕭何は一人、秦の歴史書や法律、各国の人口記録などの保管にあたる
蕭何に取ってはこれらが金銀財宝以上の宝物だった
この行動がなければ後、項羽が都を焼き討ちに近い状態にしたため貴重な情報も消えていた
これが漢王朝の基礎作りに役立ったと言われている。
続いて張良
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%89%AF
元々は韓王に使える家系、韓を滅ぼした秦への復讐をかてに生きていた
始皇帝を襲ったが未遂に終わったため、追われものとなる
秦を倒せる勢力ではないかと劉邦に従い力となる
劉邦の元ではほとんど戦場に出なかったものの、人望以外の特技がなかった劉邦の頭脳となる
韓信
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1
もともとは家柄も何もなく、項羽の元に勤めていたが進言しても用いられることがなかった
ただ軍を率いて自分の力を試したい、という考えの元、劉邦に付き従うも閑職であったため逃げ出す
蕭何が劉邦に推薦し、「蕭何が言うなら」と大将軍に大抜擢
以後、戦うたびに負ける劉邦軍の中にあって唯一戦えば勝つ
楚の王の
「関中に一番乗りした者に関中を与える」
という発言から楚連合は先を争い関中に向かう
が、楚王は項羽が一番乗りしてしまうと、楚を丸ごと取られると、一番秦が手厚く守っている経路をあたらせる
項羽が秦の名将と争っているうちに、劉邦軍は関中を落とす
関中は秦の都で今で言う西安のあたり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E4%B8%AD
趙高の最後もすさまじい
自分が立てた三男の二代目皇帝を劉邦に取り入る為に殺害
「なぜこんなことになっていることを伝えなかった」
という皇帝の発言に対して家臣は
「伝えなかったからこそ私が今ここにいる。趙高に対して信頼の厚い皇帝に伝えても私が殺されていた」
が、趙高は二代目皇帝の子供(三代目皇帝だがもう統一はくずれたため秦王を名乗る)に殺される
劉邦はそばにいた雑用係の進言に乗せられ、関中を閉じてしまう
それが項羽の逆鱗に触れる
鴻門の会(詳しくはwikipedia参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%BB%E9%96%80%E3%81%AE%E4%BC%9A
でなんとか一命はとりとめるが、項羽に目を付けられ手柄も「巴蜀の王」となる
巴はミミズ、蜀は虫、当時は流刑の地で一度行けば戻れない地だった
今まで従っていた人々も、あまりの過酷さに向かう途中に次々と逃げ出してしまう
これは関中に打って出ねばなんともならんと関中に引き返し奪う
関は三秦と呼ばれ、元秦の武将たちが納めていたが、人々からは
項羽の生け埋めから自分たちだけ生き残って、と評判が悪かった
かたや劉邦は、ほんの一時期だったが治めた間は善政を敷いた為評判が良かった
そのため簡単に関中は落ちた
項羽には
「関中が欲しかっただけで争うつもりはありません><」
という態度を一貫して取り続ける
項羽は韓の王も項梁/項羽自身が立てた楚の王も、邪魔になったため殺す
劉邦は、特に名指しではないものの
「忠心なく王を殺害した者を倒そう」
と勢力者たちに呼びかける。なんと一気に56万が集まる
項羽が他の鎮圧に出かけ手薄だった主城を簡単に落とす
が、所詮は急に集まった人たち、なんと項羽は「3万で充分」とそれだけ連れて引き返すと散ってしまう
劉邦は命からがら逃げる
逃げる時も邪魔であれば自分の子供も突き落とした
当時としては、やや突飛だがそこまで突飛でもなく、子から親は生めぬが親は子を再生産できる、という思想もあった
当時の中国は、家族/親族や出身こそが大事で重要視していた
家族/親族/出身地の集まりが社会であると思われていたため自然の考えだった
項羽は有能な配下もいたものの、最終的には自分の親族だけを側近としていたた
劉邦配下の陳平
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%B9%B3
はそこに目を付け、離反の策をはり、徐々に項羽から優秀な配下は離れていく
項羽に比較して劉邦は、そもそも家族の中でも浮いた存在だったし、出身地でも同様だった
あのゴロツキ/チンピラ上がりが!とバカにされていたため
そのため積極的に人を登用していった
巴蜀という字を調べていたら最近までよく行っていた所に美味しそうなレストランが
今度行ってみたい
http://gourmet.livedoor.com/restaurant/13154/
一冊に多くが詰め込まれているためうまくまとめにくい><
★★★★