月曜日, 7月 04, 2011

逆説の日本史 (3)



副題が
平安建都と万葉集の謎
この時代は前提知識が乏しかったため逆説でもなんでもなく
そうなんだ
的な感じでした

◯第一章 「道鏡と称徳女帝編」
日本三大悪人と戦前教育では教えられてきた道鏡
不勉強ながら私は名前すら知らなかったけど、後の二人は平将門と足利尊氏
平将門は朝廷に、足利尊氏は後醍醐天皇に「反逆」したため戦前教育では悪人とされる
道鏡は
「称徳天皇にすりより愛人関係であったためそれを利用して皇位につこうとした」
ため悪人と教えられたそう。
また称徳天皇は一度退いてからまた帝位についたりなど権力を振るった人であったとされる。
が、筆者は状況などから推理し、朝鮮出兵などを考えていた藤原氏から国を護った功績が大きいとする。
また、年齢であったり状況であったりから愛人などではなく
「大陸ではアマテラスの子孫である天皇家出身以外も平等に皇帝になれる!大陸文化はすばらしい。日本もそうなるべきだ」
と天皇制から皇帝制に移行しようと考えた結果であったと推測する。
が、多大な力のあった藤原氏に阻まれてあえなく退けられた。
天皇制から皇帝制という変革をしようとするから後世で「男狂いで血筋でないものを皇位につけようとした」と言われる。
諡(おくりな)に徳がつくためこの天皇も暗殺などされ不幸な死を遂げた可能性が高いと筆者は読む。

この時代の藤原氏の権力は絶大。
天皇家に深く入り込んだというよりも天皇家そのもの。
娘ができれば天皇家に嫁がせ男子を産ませる、男なら主要職につかせる。
藤原氏の「藤の花」は行動原理のシンボルとなっている。
絡みつくものがないと成長できない。
つまり、この時代の天皇家=日本に絡みつく寄生虫
他の外国であればここまで権力をもつと必ず主を倒し自分が支配者となるが藤原氏は決してそうしない

◯第二章
桓武天皇と平安京編
桓武天皇といえば平安京遷都が有名
なぜ遷都したか?
天武・持統王朝は称徳天皇で断絶し、天智王朝が復活したから王朝跡地を捨てた

また、私は中国系がどうとか朝鮮系がどうとかで差別する人を個人的に理解出来ないのだけど、
称徳->光仁->桓武天皇と皇位が継がれるときに、桓武天皇が光仁と帰化人である高野新笠との間にできた子なので、差別議論自体が意味が無いと感じる。
いつ大陸から来たか、の違いだけで全員大陸からきてるんだから

また、桓武天皇と言えば、ケガレ仕事を嫌ったためか軍隊をなくしてしまう
これは国家の重要な機能の一つを放棄したということで驚くべきこと
そのために武士の台頭を許していくことになる
今でも憲法9条護憲バンザイ!平和憲法を世界に輸出しよう!という層が一定以上いるが、筆者のたとえでは
一度も強盗に襲われたことがない銀行がある
「なぜ一度も襲われなかったか?」の問いに
「ウチの銀行には絶対に武力では物事を解決しないという社則があり、みんながそれを守っているからです」
と答えたら、みんな???となる。
銀行が襲われないのは、たまたま運が良かったか、警備システムが優れていたか、のどちらかで平和主義とは関係がない
軍隊不要論はそれと同じぐらいおかしな議論

◯第三章
『万葉集』と言霊編
はごめんだけどあまり印象に残らず