ディオクレティアヌスは帝国を四頭テトラルキアが四分割して、当時は死ぬしか引退できなかった皇帝の地位から引退する
この意味でも、また大きな政府を目指し旧体制を温存しようとした点でも、ディオクレティアヌスはスッラに似た感じと思われる
自分が生きてる時に後継者がうまくやっているかを見届けたい、という希望はわかるものの、この時代に軍隊を手放すことの意味を過小評価してしまったのかもしれない
西方正帝のコンスタンティウスの息子コンスタンティヌスが、父が亡くなった隙に西方副帝の地位を手に入れ、軍事にも優れていたので長いことかけてゆっくりと帝国全土を手に入れる
コンスタンティヌスは大帝と呼ばれるけれんども、それはキリスト教から見ていい人だったかどうか
ただ、コンスタンティヌスはディオクレティアヌスと違ってキリスト教を追い詰めないょ、公認するょ、と言ってるだけで特になにかすごいことをしたわけではない
しかもコンスタンティヌスとしては支配の道具として、
人間である皇帝だと統治のロジックとして弱い
後継者指名にしても、神からの指名であればそれに逆らうことは許されない
神から統治を委任された神に近い存在の皇帝が人間を統治する
ということで、多神教の神よりも一神教のキリスト教を選んだ、という経緯がある
このあたりは日本の天皇という存在に近い
日本も日本史の長い間、天皇はまさに象徴でお上を神輿にかついだほうが正当な統治権を与えられる、という意味で