水曜日, 8月 03, 2011
韃靼疾風録〈下〉
さすが司馬さん、特に興味があったわけではない時代だったのにひきつけられた、おもしろかった。
明から清へといかに王朝が変わっていったかを知ることができた。
あらすじおよび感想
明最後の皇帝、崇禎帝は真剣に明の立て直しを行いたかったものの、宦官の腐敗などがあまりに行きすぎて臣下の誰も信じることができず、清相手によく守っていた袁崇煥も、ホンタイジの策によって処刑されてしまう。
その後もう明は内部崩壊し、漢人の李自成が起こした反乱軍によって北京を落とされ皇帝は自害。
明はこれを抑える力がありながらも、最大の軍を預けていた呉三桂を対清に配置していて北京を空にしてしまい、300年ほど続いた明は呆気無く滅亡した。
李自成は、歴史教科書にも載らないぐらい短い期間ではあるが、順という国号の国を建てた。
呉三桂は父親を人質に取られていたということもあり、李自成に下ると約束する。
ここでドラマが起こった。
庄助とともに命を帯びて、平戸から蘇州に派遣された福良が養育した陳円円という女性が歴史を変えた。
陳円円はこれより前に呉三桂に嫁ぎ北京にいた。
李自成(の部下)がこれを略奪してしまう。
「主人のわしですら幾日も過ごしていないのに」
と逆上した呉三桂は李自成と戦うことを決意、軍勢が足りないので清とともに戦う決意をし使者を立てる。
歴代の中国の王朝は、蛮族から華を守るため、万里の長城という砦を築き、それは長年よく機能していた。
騎馬民族の最大の武器である馬が超えられなければ最低限の役割を果すが、私も行ったことがあるが本当に堅牢そうな「壁」が延々と続いている。
ヌルハチやホンタイジが何年もかけて落とせなかった山海関、それが一人の女性を取られた亡明の武将の感情で自動ドアのように開かれた。
あとは清の皇帝の後見人であったドルゴンの独壇場、北京を落とした。
これが人口5~60万程度の民族が当時数億の人口があった漢民族を300年近くにもわたり統一王朝とした起こり。
文化は漢民族のものを多く取り入れたが
頭をとどむれば髪をとどめず。
髪をとどむれば頭をとどめず。
つまり、命が欲しければ髪型は女真風にすること、と漢民族に強いた。
司馬さんの分析では、異民族だから余計に善政を心がけたのか
第四世 康熙
第五世 雍正
第六世 乾隆
は優れた皇帝たちだった。
逆にその後の皇帝はこの三皇帝の貯金を取り崩していただけだった。
ただ1900年代の滅亡付近には、さらなる外国から圧力を受け、例えるなら日本の尊皇攘夷のような世論に支配され、もともと自分たちの政府は異民族じゃないか、滅満興漢だ、という運動が起きその勢いが激烈だったためその後も満洲を名乗る人はまれとなった。
参考に、あとがきで司馬さんが注意されているが、満洲は地名ではなく民族名。これはWikipediaも間違えている。
ヌルハチ以前に文殊菩薩信仰が広まっていて、みずからの族のことをマンジュといっていた。
アビアは女真では貴族の娘だったが、ヌルハチに「漢と通じているのでは」と疑われ親きょうだいを殺され、「日本人の妻」という身分で生かされていた。
そんな境遇では突如現れた清という得体のしれないところにいづらく、庄助にさかんに日本に戻りたいとせがむ。
庄助は帰りたくても、庄助が出国してから鎖国されたため帰れないが、中国人として長崎にたどりつく。
三千世界の、それも十七世紀の歴史が裂けてゆく時期に、国に翻弄され漂流していく庄助とアビアの姿に涙。
★★★★★