金曜日, 9月 30, 2011

逆説の日本史〈6〉中世神風編



鎌倉仏教と元寇の謎というタイトルではあるものの後半何割かは後醍醐が武家政治を嫌って革命を起こし三度目の正直で権力を取る話にも触れられている。

最初の一,二,三章でたっぷりと、鎌倉時代に限らず仏教の起こりやそれが日本に伝わってどのように独自変化を遂げたかを解説。
国際的無宗教家を目指している私としては多くの海外の人と交流を持ちたいため宗教への理解は深めたいと思っているため今までも書は読んできた。
が、ちょっとボリューミーというか、、知識ベースの話だったのでつまらなくなり仏教の箇所は投げ出しました。。



第四章 元寇と日本人編
四章から歴史に戻るので私も読書に戻る。
中国のこの時代の歴史背景から解説される。

は領土で言えば(当時の支配国だった宋を倒し)中国、ロシア、東ヨーロッパまでを抑えていたのでまさに当時の帝国。
中国は、漢民族以外が中国を制するなど我慢ならなかったため、元祖"尊皇攘夷"で懸命に努力したが武が弱かったため敗れ去る。
陸続きの国を制覇し
(海は苦手だけど)次は東アジアへ
と、日本へも使者が何度も来ていた。
特に日本は当時は金が大量に取れたため征服したかった。

ただし、中国の歴代の国家はすべて漢字一文字であり、中国は中華思想圏以外を"野蛮"と考え、それらの国を侮蔑する二文字で読んでいた。
秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清
それに対する
匈奴、吐蕃、新羅、百済
蒙古
というのも(啓蒙活動など)バカという意味であるため
大蒙古国皇帝?なんか変なの来た。
と無視した。
武で統治している鎌倉幕府が武に屈する名折れを避けるため使者を殺してしまったこともあった。

この世界最強の軍団である元に日本が勝てたのは、神の守る神国であるから!ではなく、海という近代になるまでは最強の防御壁があったから。
前近代までは最強のスピードと破壊力があった騎兵。
陸ならこれほど移動に重宝する動物(乗物)もない。
が、海を渡すとなると騎兵とは全員が少なくとも4~5頭の馬を持ちそれを輸送し、上陸した後のエサのことも考えなければならないので、この時点で世界最強軍隊の最大の武器を使用不可にできた。
さらに二回の襲撃の二回とも、特に(二回目は夏なので嵐が来る可能性は高いにしても)一回目は秋なのに嵐という神風が幸運する。
つまり
海に囲まれていること
元帝国にとってはすでに制圧している高麗をはじめとする多国籍軍だったこと
嵐が起こったこと
鎌倉武士がよく守ったこと
が勝因だった。
つまり、すべてではないが、おおざっぱにはラッキーで勝ってしまったため
日本国は神に守られている国であるからいざというときには神風が吹く
という思想ができてしまう。

なお現代でシナというと”侮蔑的だ"という声もあるけど、ただChinaの別読み、もっというと秦の別読みであるので何ら侮蔑的でない。



第五章 鎌倉幕府の滅亡I 後醍醐天皇の野望篇
第六章 鎌倉幕府の滅亡II 後醍醐天皇の新政編

日本が外国と比べ特に変わっている点が
権威と権力が分かれているところ、つまり天皇を中心に武をもって日本を統治しているわけではない
というところが挙げられる。

例えば中国は、結婚しても夫婦は別姓でありまた親族のつながりが強いことから"血統"を大切にしている、とも考えられる。
ただ、科挙は血統ではなく実力主義であり、また皇帝にしても"徳"がないと見られれば武を持って交代させられるという意味では最終的には血よりも実力主義に重きを置いた歴史だと考えられる。

ひるがえって日本では、
アマテラスの子孫が日本を統治するという神話
が根底にあるため、天皇家が原因で世が乱れてしまったような時期があっても、権力は武をもって移譲されても権威はそのまま天皇や公家公卿に残される。
天皇家はこの時代でも、兄が継ぐか弟が継ぐかで北朝南朝に別れ争いをはじめてしまった。
権威が武を持たなくても権威を持ったままでいられるため、武へのケガレにつながると考えられる。
(それは血や殺、争を伴う人たちへの差別にもつながる)

ただでさえ制度疲弊しかけていた鎌倉幕府
元冦で持ち出しでがんばった武士たちに恩賞があったかといえば、日本の貴族階級は
あれは皆が願った結果神風が吹いたことが勝因だ
として恩賞もなかった。

後醍醐という天皇家では唯一といってよい、独裁者を目指した天皇のもとに楠木正成や新田義貞、足利高氏が集まり鎌倉を倒す。
出生などもわからない謎の人物楠木正成は後醍醐に忠誠を尽くしたため、戦前を中心に美化されている。
源頼朝の血筋が途絶えた後の
源八幡太郎義家

継ぐ血統である新田、足利。とくに足利は本家。
実際に鎌倉を落としたのは新田義貞率いる軍だったが血統としては足利高氏が上だったため位なども自然上となった。

後醍醐が武に政治を任せる体制を変えたいという
革命
を目指していたのに対して、足利高氏は鎌倉幕府は制度疲弊していただけであって、源氏正統である自分が頂点に立ち収める
クーデター
を考えている点で根本的に違った。

足利高氏には後醍醐も機嫌を取るため自分の諡の一字を与え、足利尊氏とするなど気を使いつつも武を正当化する征夷大将軍には任命しない。

権威者と権力者どちらが勝つかといえば、、
権威があるから安泰
というのは後世の美しい誤解で
押込
という名で、あまりに独裁的な場合は藩主殿様、場合によっては天皇でさえも無き者にされたことがあったと紹介する。
例えば、幕末で一番優秀な藩主といえば島津斉彬は井伊直弼が徳川世継問題で独裁したことに講義という名で兵5,000を率いて圧力をかけにいったときにも、病死というあまりに突然の不自然な死であることから押込があったのでは?と想像する。

また、これについては天皇も例外ではない。
昭和天皇が独裁で終戦を決定したと思われがちだがそもそも天皇が政を決議すること自体が帝国憲法違反にあたる。
天皇はあくまで閣議が決めたことを聞くだけ。
もし独裁権があったとしたら、開戦に反対していたのに戦争がはじまるわけがない。
終戦を英断したものの、軍は軍に理解のある弟を立てるために「押込」を行うのではないかと恐れた。
事実クーデター騒ぎは玉音放送前にあった。

作者は、独裁/権力集中を許さないのは日本独自と解説するが、例えばカエサルが殺されることを例にしても、利害関係を相当丁寧に紐解かないと基本的には独裁者は「押し込められる」運命にあると愚考する。

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